チフネの日記
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| 2004年08月13日(金) |
盲目の王子様 13 越前リョーマ |
ほぼ日課にしてる散歩を終えて、リョーマは玄関のドアを開けた。 学校から家への道と、ほんのわずかな周辺。 それがリョーマが歩ける範囲だ。 教えてもらった道は忘れないようにと、暇があれば一人で歩いている。
「おかえりなさい」 ドアを閉めるのと同時に、優しい声がリョーマを迎える。 「ただいま、菜々子さん」 「すぐに夕飯にしますから、手を洗ってきて下さいね。今日はリョーマさんの好きな茶碗蒸しです」 「やった!」 靴を脱ぎ、リョーマはすぐに洗面所へ向かった。
同居している年上の従姉は、いつでもリョーマのことを見守ってくれている。 それは視力が失われる前からのことなので、変に同情などないことくらいリョーマはわかっていた。 さりげなくリョーマが本当に困った時だけ、そっと手を貸してくれる存在。 (そういうとこ榊先生と、似てるかも・・・) しかし榊はさりげない力の貸し方のスケールが違ったと、リョーマはすぐに思い直した。 本人は些細な助力のつもりだが、どう考えても些細などでは収まらない。 (勿論、感謝はしているけどね) おかげで点字の本には困らないし、とリョーマは少し笑った。
理解して、支えてくれようとしてる人がいること。 それだけでもう、十分だとリョーマはいつも思っている。
「菜々子ちゃんの料理はいつ食べても美味しいねえ。 旦那になる奴は世界一の幸せものだな」 「おじ様。そう言って、お酒のお代わりしようとしても、ダメですよ。 おば様から2杯までって言われているんですからね」 「げー、そりゃ無いよ。よっ、菜々子様。肩でもお揉み致しましょうか」 「ダメですったら」 珍しく早い帰宅だったリョーマの父親・南次朗と、菜々子とリョーマでの夕ご飯。 母親である倫子は会議で遅くなるから、申し訳ないけど先に食べていてとの連絡があった。 「親父。菜々子さんに迷惑掛けてないで、ご飯食べたら?」 まだ菜々子に食い下がってる父親に、リョーマはぴしゃっと一言伝える。 「おうおう。なんでえ。一人息子まで母さんの味方か。やってられないなあ」 「母さんは親父の体のこと考えているんだろ。放っておくといつまでも飲んでいるんだから」 「かーっ!手塩に掛けて育てた12年。可愛かったお前がそんな憎たらしい口を聞くとは、涙が出て来そうだ」 「おじ様。嘘泣きしても、わかりますよ」 「菜々子ちゃん・・・そんな冷静に言わなくてもいいから・・・」 拗ねたような南次朗の前に、菜々子はご飯を盛った茶碗を無言で置いた。 これ以上酒を無駄だと悟ったのか、南次朗は黙っておかずとご飯を口に運ぶ。
「時に青少年」 「何だよ」 「学校はどうだ?楽しい学生生活をエンジョイしているか?」 さらっと今の状況を聞きだす南次朗に、リョーマは肩を竦めた。 「まあまあだね」 「左様か」 ふーん、と肘をテーブルについて南次朗は漬物を口へと放り込んだ。 「おじ様。お行儀が悪いから、やめて下さい」 「まあまあ、菜々子ちゃん。この姿勢、楽なんだよ」 「ダメです」 ちぇっ、と舌打ちする南次朗を横目に、菜々子へリョーマに声を掛けた。 「リョーマさん。学校で不便なこととかは無いのでしょうか?」 「平気だって。まあ、カチローやカツオの手を借りることもあるけど。 ほとんど支障無い」 「そう・・・ですね」 クラスメイトのカチロー達の名前は、菜々子にも伝えてある。 親切なクラスメイトがいて良かったですねと、菜々子は心から喜んでいたようだった。
「それに、榊先生もいるし」 「榊の奴がどんな顔して親切にするか、見てみたいものだなあ」 「親父。学校来たら怒るからね」 「なんだよ!こっそり見に行くのもダメなのか!?」 「不審者に間違われるだけ」 「どこから見ても紳士だろうが」 「おじ様。リョーマさんが嫌がることはしないで下さいね」 にっこり菜々子が微笑んで念押しすれば、南次朗はそれ以上何も言えない。
「でも榊先生にカチロー君達に、良い人がいる学園で本当に良かったですね」 良い人ばかりじゃないけどねと思ったことは言わないでいた。 菜々子に話したら、きっとものすごく心配するに決まっている。 こんなにも自分のことを気に掛けてくれる菜々子に、これ以上余計な気を煩わせたくない。 「うん」 頷けば、菜々子は安心する。 何事も無く学園生活を送っていると信じてくれるだろう。 それ以上突っ込まれないように、リョーマは話題を変えた。 「そういえば。今日は知らない人に親切にされたんだ」 「まあ。どこでですか?」 「保健室からの帰りだったんだけどね・・・」
体育の時間、リョーマはいつも保健室で過ごしている。 実技は出来ないし、かといって見学もしたくでも出来ない。 特例として体育の時間は保健室で、点字の勉強することになっている。 その特例を作ったのは誰か、なんて考えなくてもわかっているから、 リョーマは何も言わずに従うことにした。 それにおばちゃんと呼ばれ生徒に親しまれてる保険医の先生は、 リョーマのことを気に入ったのか時々内緒でお菓子をくれたり、眠いと言ったらベッドを貸してくれることもある。 授業中、眠くなるリョーマにとってこれは有り難いことだった。
今日も体育の授業中は保健室で惰眠を貪り、 起きた後は貰ったチョコレートを食べて大変満足な時間を過ごした。 「寝る子は育つと言うけど、少しは勉強しなさい」 くすくす笑いながら言うおばちゃんに、「平気」とリョーマは涼しい顔して言い切った。 これといった課題が出ているわけでもないので、勉強してるとさえ言えば単位は貰える。 こんな楽なことは無いから、止められない。 「でも榊先生に、叱られるんじゃないの?」
一度だけ、榊が保健室に顔を出したことがあった。 ちょうどその時、リョーマの為に出してくれた和菓子を頬張ってる時だったので、 少し気まずい思いをしたのは確かだ。 「ちょうど休憩していたところなんです」 慌てておばちゃんが言い訳をすると、榊は「そうでしたか」とだけ返事して扉を閉めていってしまった。
「あの時のびっくりした顔の榊先生。 ここに勤めて長いけど、あんな表情初めて見ましたねえ」 「ふーん。真面目に勉強してると思ったら、ドラ焼き食べてて驚いたのかな?」 「越前君の大きな口に驚いたのかも」 「まさかあ」 そんなことくらいで、榊が動揺するのかと笑って否定する。 (とはいっても、あんまり榊先生のことよく知らないんだけどね・・・) 声の感じや、対応から父親よりもしっかりした落ち着いた大人だと勝手にイメージしてるが、 意外な面を持っていてもおかしくないだろう。
適当な世間話をしている内にチャイムが鳴り、リョーマは椅子から立ち上がった。 「チョコ、ご馳走様っす」 「どういたしまして。今度は果物なんかどうかしら?」 「大好きです」 「そう。じゃ、用意しておきますからね」 おばちゃんに感謝しながら、一礼して保健室を出る。 リョーマの教室は渡り廊下を挟んだ向かいの校舎の為、そうそうゆっくりはしていられないのだ。 普通の生徒ならば一分も掛からない距離だが、リョーマはそうはいかない。
(ここで渡り廊下のドアを開けて・・・) 慎重に手で探りながら、重いドアを開ける。 (後、半分くらいか) 外気を肌で感じながら、コツコツ音を立てて渡り廊下を歩く。 良い天気なので、とても心地良い風が吹く。 さっきまで寝ていたせいもあってか、リョーマはつい欠伸を一つ漏らす。 教室に戻ったら、また寝そうだ。などと考えながら。
そんな他事を考えてた油断もあってか、つい足元への注意が疎かになっていた。 まずい、と思った時はがくんと右足のバランスを崩し、転んでしまった。 「・・・・ったー」 何をやっているんだと、転んだ時痛めた膝を擦る。 怪我はしていないことにほっとして、立ち上がろうと杖を持ち直す。 「え?」 全く周囲に人がいるなんて、リョーマは注意を払っていなかった。 しかしいつの間にかリョーマの横に立ってたその人は、リョーマの体を支える形で立ち上がらせてくれた。 更に、制服についているだろう埃まで払っている。
「あの・・・・ありがとうございます」 手で埃を払う音に我に返ったリョーマが慌ててお礼を言ったが、 その人物は何も言わずに去って行ってしまった。
(声くらい聞きたかったんだけど) そうしたら次会っても、誰だかわかることが出来ただろう。 寡黙な人なんだと自分を納得させて、リョーマは再び教室へと歩き出した。
「と、言う訳なんだけど」 リョーマの話を黙って聞いていた菜々子は、「その方とまた会えたらいいですね」と微笑んだ。 「もしかして転んでる人を助けるなんて当たり前過ぎて、名乗る程じゃないと考えてるかもしれません」 「おいおい菜々子ちゃんー、そんな中学生いるかあ?」 南次朗の茶化した声に、「いるかもしれないじゃないですか」と菜々子はムキになって返す。 「ま、まあそうかもしれねえな。うん。それより青少年」 菜々子を刺激しないように、南次朗は矛先を変えた。 「何」 「いつも保健室で良いモノ食ってるようだな、おい。だが、注意しないと太るぜ?」 「余計なお世話だよっ」 ぷいっと顔を背けて、「ご馳走様」とリョーマは席を立った。 息子をからかうことを楽しむ南次朗の相手を、これ以上しない為だ。
「リョーマさん。お風呂が沸いたら、呼びますから」 「うん。お願い」 菜々子にはきちんと返事して、リョーマは自室へと向かった。
部屋に入って、まずベッドに倒れ込む。 (腹、膨れた・・・) ちょっと夕飯を食べ過ぎたかも、とリョーマは横になって休んだ。
自然と先程菜々子にした話の内容が頭に浮かぶ。 さっきの中で、一部分だけ言わなかったことがある。
(あの香り・・・・跡部の奴がつけてる香水と同じだった)
体を支えられた時、名乗らない親切な人の体からふわっと漂った香り。 それは跡部と接触した時に、嗅いだことのある香りと同じだった。 加えて、初めて会った時に抱かかえられた時の感じとも似てるような気もする。 (でも絶対、あいつじゃない。それだけは違う)
跡部ならばきっとリョーマが転んでいたのを見たら、素通りするか、 「こんなところで道を塞ぐな」と言うくらいだろう。
(二度と俺とは関わらないって言ってたよな) だから今日、起こしてくれた人と跡部は違うと、リョーマは思っていた。 (あいつと同じ香水なんて、趣味悪いけど・・・まあ、それは人の勝手だし。香水と性格は関係無いよな。 体格だって、あのくらいの奴はいそうだし)
やっぱり跡部ってことは無いと結論を出す。 この次会えたなら、名前を聞けばハッキリするはず。 そうしよう、とリョーマは決意を固めた。
一部のクラスメイトの嫌がらせは、毎日行われるものじゃない。 どうやらその日の気分次第らしい。
今日は絡んでくると決めた日らしく、昼休みにカチロー達のいる前で軽い嫌味を言われた。 「リョーマ君のことを知らないのに、どうしてそんな風に言うんだよ!」 連中の嫌味にいち早く反応したのは、カチローだった。 慌ててリョーマは「相手にしなくていい」と止めに入り、カツオと共にカチローを教室の外に引っ張り出した。
「反応するとあいつ等が喜ぶだけだから、無視しとけばいい」 カチローにそう念押ししたのは、自分以外にも目を付けるんじゃないかと恐れたからだ。 「わかった?」 「うん・・・」 カチローの返事に、ようやくリョーマは安堵の息を吐いた。
「あのさ、リョーマ君」 「何?」 遠慮がちにカツオが問い掛ける。 「今までも、あんな事言われたりしたの?」 「・・・・・・・・」 答えることが出来ずに、リョーマは黙っていた。 きっとそうだと言えば、この二人は連中にまた腹を立てるだろう。 問題を解決しようと動くかもしれない。 でもそうしたら、巻き込んでしまう可能性が出てくる。
「そう、なんだよね?」 カツオの言葉に、リョーマは笑って答えてみせた。 「あいつ等の言ってること、半分もわからないんだ。 低レベル過ぎて笑っちゃうよね。俺は相手にするつもりないから」 「でも」 「放っておけばいい。あのくらい言われるの、俺はなんとも思ってない。本当だから」
コトを纏めようとするリョーマの必死さが伝わったのか、 カチローもカツオも「なんとかしよう」とは言わなかった。
「でも覚えておいてね。僕らはリョーマ君の友達だから」 「友達を悪く言われて、黙っていられるはずがない。エスカレートするようなら、止めさすように言うよ?」 真剣な二人に、リョーマは少し俯いた。 「うん・・・・ありがとう。でも本当に平気だから」 「リョーマ君・・・」
理解してくれる人がここにもいる。 作ったものではない自然な笑顔を、リョーマは二人に向けた。
幸いにも、それ以降連中が絡んで来ないまま授業は終了となった。
「それじゃ僕ら部活に行ってくるね」 「また明日ね、リョーマ君」 「うん。じゃあね」
練習前にコート整備などは一年の仕事の為、カチロー達は早くに教室を出る。 それでも今日は気を使ってか、連中がいなくなるまで残っていてくれたようだ。 本当なら下駄箱まで一緒に行こうと言われたけれど、リョーマがそれを断った。 一人で歩く練習をしているから、先に行っててと部活へ追い立てた。
(さて、俺も帰るか・・・) 今日はテニスコート近くまで寄ろうかと思ったけど、こんな日は真っ直ぐ帰った方が良さそうだ。 そう思って立ち上がり、鞄を肩に掛ける。
ガタンっ。
何かがぶつかった音がしたと思った瞬間、誰かがリョーマの体に体当たりをしてきた。
「な、んだよっ!」 教室みたいな狭いところで走ってるのか。 文句を言いながら、倒れた体を起こそうとリョーマは体勢を立て直す。 昨日から、転んでばっかりだと眉を顰め、その辺りに倒れているだろう杖に手を伸ばす。
「あ、れ?」 しかしそこにあるはずの杖は無い。 「なんでだよ」 両手で探すが、やっぱり見付からない。 「ねえ!今ぶつかった時に俺の杖がどこかに行っちゃったみたいなんだけど!」 こうなったらぶつかった原因の奴に持って来てもらおう。 そう思って、リョーマは声を上げたのだが。
(あ・・・・) 聞こえて来たのは、かすかな笑い声。 (今ぶつかってきたのはわざと・・・か) リョーマの考えを見透かすように、一つの足音が教室から出て行くのが聞こえる。 きっと杖は落ちてなんかいない。 そいつが持っていった可能性が高い。 このままいつまでも教室で探している自分を、面白がってるに違いない。
(なんだよ。俺は絶対お前らなんかに負けるもんか) すぐ横の机に手を掛けて、リョーマは立ち上がる。
杖は無いけれど、今まで暗闇の中、一人で何往復した道のりだ。 壁に手を伝っていけば、帰れるかもしれない。 家に帰ったら、予備があるから明日からはそれを使えばいい。 また取られたら、代わりになりそうなものでなんとかしてみせる。
(あいつらの思うようにはさせない) 手で周囲を探り、一歩不安定な道へ踏み出す。
何度も机にぶつかりながら、リョーマは教室のドアを開けた。 (どれくらい時間が掛かるかわからないけど、絶対帰ってやるからな)
壁に手を触れ、また一歩歩く。
弱いことを認めれば、楽になれるのだろうか。
けれどそれは絶対自分の生き方じゃない。
自分自身を守る為に、リョーマはまた一歩誰の手も借りずに前へ進んだ。
チフネ

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