チフネの日記
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2004年06月12日(土) 天使不二と王子  12

流れる血の色に、会場は騒然となった。

地区大会、シングルス2。
不動峰の伊武との試合で、越前はラケットの破片で瞼を切って負傷した。

「痛くないっす」
止まらない血に平然としている越前に、大石は「早く手当てしないとだめだろう!」と無理矢理ベンチに座らせた。
あれが痛くないはずない。
正面に立って、僕は越前の様子を見た。
血が瞼から顔に伝わり、ウエアも赤く染まっている。
「うひー痛っそ」
顔をしかめて英二は越前の傷から目を逸らした。
痛い、だろうね。
「平気っすよ、このくらい」
とてもそうとは思えない。
いくらなんでも、試合は無理だろう。
この試合を棄権しても、恥じることじゃない。
それにシングルス1には手塚が控えている。
彼なら勝つだろう。
越前が勝つところは見たかったけど、怪我が悪化したら元も子も無い。
棄権、すべきだ。
皆だって、そう思っているはず。

「やるよ」

あーあ、騒ぎ過ぎと越前はベンチから立ち上がった。
呆然とする周囲を無視して、「続けるから」と審判に向かって言い放つ。
「リョーマ!ちょっとおいで!」
竜崎先生の手当てで、一時的に瞼から流れる血は止まった。
しかし完全に左目の視界は遮断されている。

そんなハンデまで負って、どうして試合に臨みたいと思うのか僕には理解できない。

「10分だ!10分で決着がつかなければ棄権させるぞ。いいな」
そしてこんな状態で試合続行を許した手塚も。
わからない。
彼らしか理解しあえないことなのか。
天を降ろされた僕が見えてしまうくらい、美しい魂を持つ二人にしか入れないことなのか。

10分の間、僕はずっと食い入るように越前を見ていた。
瞬きすら忘れるくらい、輝く魂を見ていた。


「寝ちゃっているよ、うちのルーキー」
「本当だ。疲れていたんだな」
「腹が膨れたから、眠くなっただけじゃないっすか?」

打ち上げは、ご好意でタカさんの寿司家で行われた。
それぞれお腹をいっぱいにして、さあゲームでもするかとなった段階で、
隅っこで寝ている越前に気付いた。

「英二先輩、何やってるんすか?」
「イヒヒ。油断大敵ってね」
鞄から持ち出したサインペンで、英二は越前の眼帯に文字を書き出した。
「英二、いたずらは良くないよ」
「いいじゃん。起きない方が悪い」
あーあ。勝手にそんな落書きしちゃって。
俺も俺もと、桃が英二から借りたペンで何か書き足す。
「これで良し。鏡見てのお楽しみっ」
「しかしこいつ、起きねーな」
騒がしい周囲にも、越前はぐっすり寝ている。
「どうしようか?さすがに越前を置いては、行けないよな」
「えー、ゲームしたい!おチビ、起きろ!朝だにゃ!」
「やめなよ、英二。越前は疲れているんだから」
だって、と不貞腐れる英二に、僕は一つ提案した。
「皆はタカさんの部屋に行っていいよ。僕がここに残るから」
「え?不二が?」
「うん。越前が起きたら、上に連れて行くから。それならいいよね?」
「でも不二はそれでいいのか?」
いつの間にかノートを取り出しながら、乾が尋ねてくる。
一体、何をメモしているのやら。
「うん。僕もちょっと疲れたから、休んでおくよ。
ここにいてもいいかな?」
後半はタカさんを見て、言った。
「ああ、勿論」
「それじゃ決まりだね」
「わかった。不二、頼むよ」
それじゃ皆、行こうかとタカさんの声に二階へ移動していく。
最後に残った英二が「なーんか、この間から不二とおチビって変なんだよな」
それだけ言って階段を上がって行った。

やれやれ。
静かになった座敷に、僕は越前の真正面に座った。
初めて見た寝顔は、さっきまで力強い試合をしてたと思えないほど押さないものだ。
睫毛、長い・・・。
眼帯のしていない方の瞼に指でそっと触れると、
越前の眉がぴくっと動く。
だけど反応はそれだけで、未だ眠りの中だ。

瞼の傷、残るだろうか。
不意に、力を使って治してあげたくなる。
痛くないと越前は言ったけれど、しばらく痛むはずだ。
僕なら一瞬で、傷を塞ぐことは可能だ。

―――決して、人に見られないこと―――

わかってる。
僕は決してこの力を使うことは出来ない。
急に傷が消えたら、越前も他の人もおかしく思うだろう。

疑われてはいけないんだ。

唇を噛んで、僕は必死で耐える。
お前は結局何も出来ないんだと、こんな時思う。

越前が血を流した時だって、僕は見てるだけだった。
大石のように引き止めることすら出来ずに、突っ立っていた。

血を流しながらも、コートに戻ることを望んだ越前。
そこまでしなくても、いいのに。
何が君を駆り立てたの?

試合を終えた越前はベンチに戻ってくる時、手塚の方を見ていた。
「よくやった、おチビー!」
「この野郎、本当に10分で決めやがって!」
桃や英二に囲まれる中、確かに手塚を見ていた。

続けさせてくれて、ありがとうございます。

口には出さなかったけれど、心の声が僕には聞こえた気がする。
手塚も、結果を出した越前によくやったと言っているようだった。

そうだ。
この二人は近づけば、誰よりもわかり合える存在になる。
僕だって思っていたじゃないか。
手塚と越前の魂は近いものだから、一緒にいた方が良いって。

手塚は越前を求めて、越前だって手塚の実力を認めれば、惹かれることになるだろう。
それが一番、良いことなのだ。

だから疎外されているなんて思う、僕が間違っている。
この感情は間違っている。

眠りの中に漂う越前の頬をなぞり、僕は溜息をついた。


チフネ