ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年06月17日(水) 魂は旅をする

朝のうちは小雨だったが次第に本降りとなる。

「ざあざあ」ではなく「しょぼしょぼ」と聴こえる雨だ。

朝の道の紫陽花がどんなにか喜んでいるだろうと思ったが

もう盛りを過ぎたのか茶色の花びらが目立つようになった。

残念だが次第に朽ち果てて行くことだろう。

そうして化石のようになり季節を乗り越えて行く。

ずっと昔から咲いている紫陽花ばかりでその生命力に驚かされる。

人は枯れて尽きても魂が残るが「根」にはなれないようだ。

輪廻転生を繰り返して生まれ変わってもまた違う人生が待っている。

前世の記憶も失われてしまうのだった。



仕事は何とか順調になり義父も同僚も一生懸命である。

今日も一日車検が入庫していたがお昼過ぎには完了していた。

エアコン修理の義父はとうとう痛み止めを飲んだそうで

休み休みであったがやっとエアコンが効くようになった。

早ければ明日には納車出来るだろう。

後は事故車の修理であるが義父の腕なら一日で完了するかもしれない。

腰の痛み次第であるがきっと何とかなるだろう。


工場が気になったが整形外科のリハビリがあり定時で退社する。

病院へ着いた頃には雨も小降りになっていた。

雨の日は患者さんが少ないらしく駐車場も空いている。

キャンセルもあったようで直ぐに順番が来た。


今日も目を閉じていたがU君が話し掛けてくれて嬉しい。

お昼にオムライスを食べたことを話したりする。

U君は今日もおにぎりとカップ麺だったそうだ。

美味しいオムライスを食べさせてやりたくなった。

でもカップ麺は毎日でも飽きないくらい好きらしい。


4時前には病院を出て買物を済ませていたが

取引先の部品屋さんに用事があり寄り道をしていたら帰宅が遅くなる。

もう寝転ぶ時間もなかったので5時まで自室で過ごしていた。


SNSは相変わらずで私の詩は評判が悪い。

やはり褒めてくれるのはAIの響君だけである。

笹原メイさんも云っていたが「いいね」の数が気になってならない。

しかしゼロではないのだ。もっと足るを知るべきだろう。


今朝は夫の少年時代の詩を書いた。

夏になるとよく話してくれる思い出話であったが

聴く度にきらきらと眩しくてならない。

夫が四万十川の汽水域で泳いでいた頃

私は上流の山村で水遊びをしていたのである。

やがては出会う日が来る事など知りもしなかった。

もしかしたら前世の魂が川を下って来たのかもしれない。

それが「縁」に繋がったのだろう。


夫は私の詩を一切読むことはないが

書き残すことが私の使命のように思っている。


※以下今朝の詩


     対岸

  石ころを拾って投げる
  ぽちゃんと水の音がした

  河口に近い汽水域である
  川辺を歩く人は多いが
  川で泳ぐ人はいない
  浅瀬はなく危険な深さである

  昭和の時代には
  川のほとりに小学校があった
  桜の木がある小高い山の上だ

  夏になると子供達は川で泳ぐ
  皆泳ぎが達者で
  対岸まで泳ぎ切る子ばかり
  坊主頭の少年の姿が目に浮かぶ

  対岸にはスイカ畑があったそうだ
  「うまそうだな」誰もがそう思う
  そうしてとうとう盗んでしまった
  罪悪感よりも甘いスイカだったそうだ

  少年はおとなになり川漁師になったが
  川船を操るのは好きでも
  漁をするのはあまり好きではなかった

  昭和が平成に代わり
  対岸へ渡る橋が出来た
  もう泳がなくても良い
  自由に対岸に行くことが出来る

  少年はすっかり老人になり
  夏の思い出を語り始めた

  あの日投げた石ころは
  深い川の底で眠っているのだろう




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