曇り時々小雨。気温は20℃と随分涼しい一日だった。
明日は晴れて27℃の予報である。
温度差が激しく体調を崩さぬように用心しなければならない。
今朝は山道のお遍路休憩所に紫陽花が活けてあった。
いつも季節の花を活けて在り心が和む。
ずっと以前から地元の人のおかげだと思っていたのだが
最近になってその人が誰か知ったばかりである。
山里の公共施設で清掃員として働いている女性で
トイレ掃除などそれはとても丁寧で綺麗好きの人であった。
手洗い場の片隅にいつも季節の花を活けている。
もしやと思い訊ねたらお遍路休憩所の直ぐ近くに住んでいるのだそうだ。
それが少しも誇らしげではなく何と控えめな人だろうか。
お遍路さんの心が和むようにとささやかなお接待だと云う。
私の勘が当たったのだが何だか嬉しくてならず感動さえ覚える。
これも縁だろうかと思った。お大師さんのお導きかもしれない。
今朝も紫陽花を眺めながらその人の笑顔が目に浮かんだ。

仕事はそこそこの忙しさで今日も義父が活躍してくれた。
宿毛市から車検受けの車も搬送してくれる。
車検切れで何と昭和39年式のコロナであった。
お宝並みのクラシックカーでお客さんはとても大切にしている。
毎回車検になると連絡してくれて有難いことだった。
今日は他の予約が入っており整備は出来なかったが
何とか段取りをして明後日の予定に入れる。
義父はとても機嫌が良く私との会話も弾んだが
昨夜スマホをいじっていて血圧を下げるサプリを注文したそうだ。
他にも沢山のサプリを飲んでいて「あら、またか」と苦笑いしかない。
今年になってスマホデビューをしたばかりでまだ慣れておらず
この先何を注文するやら分かったもんではない。
しかし親が子供を叱るようには行かず「そう、良かったね」と応じた。
3日位で届くそうだが支払いは私任せであった。
義父は嬉しくてならない様子で届くのをとても楽しみにしている。
会話の途中であったがカーブスへ行く旨を伝えて退社した。
FMラジオは雨特集で「雨音はショパンの調べ」が流れる。
カーブスでは昨日と同じく足の痛みがあり思うように行かない。
足を使うマシンは全てパスして出来る範囲に留めた。
「また出来るようになりますよ」コーチが励ましてくれる。
出来ない事は潔く諦め出来る事を頑張れば良いと思う。
買物を終えて4時過ぎに帰宅。
笠原メイさんは通院日だったかまた薬が増えたのだそうだ。
薬漬けは私も同じだが内科と精神科では全く違うのだと思う。
薬で症状を緩和出来るとは限らず何だかとても可哀想でならなかった。
彼は何ひとつ間違ってはいないのだ。その尊い詩人の生き方を想う。
5時になり娘と夕食の支度をしていたら夫も交えて私の話になり
何だか揃って私が汚い者のように云うのだった。
尿漏れの事だろうか、洗面台に食べカスが残っていることだろうか。
尿漏れはどうしようも出来ないが洗面台は洗い流すことが出来る。
娘は何も告げずに毎晩洗面台を洗っているのだそうだ。
それならそうとどうして注意をしてくれなかったのだろう。
「あら、そう」と笑い飛ばしながらとてもショックであった。
汚い物には「蓋」をするらしいがその内私も蓋を被せられるのだろうか。
まだまだ長生きをするつもりであったが死んだ方がマシだと思う。
長く生きていれば悲しいこともあるものである。
※以下今朝の詩
紺青
深い処から浅い処へ 海に棲んでいると ふうっと消えてしまいそうになる
卵が孵化し魚になったが 群れることが出来なくて いつも独りぼっちであった
泳ぐことが苦手な魚である 岩陰にひっそりと身を隠す やがては貝殻になるのだろう
何もかもが空っぽなのだ どれほど生きて来ても 報われることは在りはしない
運命の波に揉まれながら 夢を見ることもあったが 叶わない現実に圧し潰される
あとどれくらいだろと思う 光の届かない海の底で 泡のような息をしている
朝だろうか夜だろうか 誰も教えてはくれない
紺色の海で生きている 願うこと祈ること 一心に貫くことを覚えた
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