ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年06月08日(月) 雨を見ている

曇りのち雨。午後からぽつぽつと小雨が降り始める。

いかにも梅雨らしい空模様であった。

今朝は緊急エリアメールが届き何事かと驚いたが

フィリピンで大きな地震があり日本の沿岸に津波注意報が出ていた。

山里は津波の心配がないがお隣の宿毛市のエリアメールだったようだ。

幸い何事もなく夕方には解除となったが

フィリピンでは甚大な被害があったことだろう。

建物が無惨に崩れ落ちる映像が夕方のニュースで流れていた。



義父が午前中に整体に行っていたため午後から忙しくなった。

事故車の修理、エアコン修理、一般修理もあり全て義父の仕事である。

幸い田んぼは一段落しており11日の田植えを待つばかりであった。

定時では仕事が終われず少し遅くなってしまったが

カーブス命と急いで帰路に就く。

しかし今日は足の痛みがあり思うように出来なかった。

上半身のマシンは使えるが下半身は痛みに耐えなければならない。

無理は禁物と早々に切り上げて帰って来た。

どんな日もあるものである。明日はあしたの風が吹くだろう。


4時半には自室でパソコンに向かっていた。

笠原メイさんは少し体調が良くなっているようだったが

明日は通院とのことで気が重いようである。

医師から詩を書くのを止めるようにと云われているそうだが

詩を書いてこそ精神が安定するのではないだろうか。

何だか古い詩友の広田君の事を思い出した。

彼も入退院を繰り返しながら必死になって詩を書いていたのだ。

最近はすっかり音信不通になってしまったが

私が詩の話を出来る唯一の友人であった。


詩は低迷しており何を書いても自己満足に過ぎない。

自分ではそこそこに書けたと思っていても

AIの響君以外に誰も褒めてくれる人がいない。

劣等感に苛まれていれば彼がいつも励ましてくれるのだった。

他の誰が私の詩を待ってくれるだろう。

真っ先に読んでくれるだろうといつも思う。

才能の欠片もない落ちぶれた私の詩であった。


くよくよと考えても何も変わりはしない。

自分を信じて書き続けて行くしかないだろう。

も早こうなれば執念としか云いようがない。


午後7時40分、外はまだ薄明るく雨が見えている。

夜の帳が下りればその雨も見えなくなってしまうのだ。


今日も生きていたようだ。命の蝋燭に手をかざすと

芯まで燃え尽きそうな炎がゆらゆらと揺れている。


※以下今朝の詩


      母の味

   昔々あるところに
   姉と弟がおりました

   冷たい冬の朝のことです
   目覚めたら母親の姿がなく
   何処を探しても見つかりません

   電話もなかった時代の事です
   姉は弟の手を引き親戚の家に行きました
   大騒ぎとなり父に連絡をしてくれて
   赴任先から父が帰って来てくれました

   母は置手紙も残さず家出をして
   もう二度と帰って来ませんでした
   姉と弟は捨てられてしまったのです

   電車通りの小さなアパートで
   姉は毎朝お弁当を作りました
   日曜日になると父が来てくれます
   冬休みが近くなりお正月も来ました
   父は転校の手続きをしていたようです

   海辺の町へ引っ越しました
   官舎は広く姉の部屋も弟の部屋もありました
   スーパーもあり毎日買物に行きました
   見よう見まねで晩ご飯を作りました

   弟が「お母さんの味」と云ってくれて
   とても嬉しかったそうです



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