清く正しく雨が降っている。
気温も3月下旬並みとなり冷たい雨であった。
朝の山道を行けば傘を差して歩いているお遍路さんを見かける。
杖はついていなかったが歩きづらいことだろう。
足元もびしょ濡れの様子で気遣わずにはいられない。
車を停めて声をかけるべきだったといつも後から悔やまれる。
峠を越え山里の民家が見え始めるとオオデマリが迎えてくれるが
雨に打たれて酷く弱っている様に見えた。
もう蕾も見えずそろそろ見納めかもしれない。
コデマリと同じように茶に染まって行くのだろうか。
毎年見ているはずなのに終いの姿を思い出せない。
いちめんの田んぼが見え始めると溢れんばかりの水であった。
もう水不足の心配はないだろう。
稲の成長は早くぐんぐんと伸びて行きそうだ。
職場に着くと義父に農業仲間の来客があり
居室に向かって声を掛けたが一向に返事がない。
電話をすればやっと姿を見せてくれた。
お仲間さんはもう「中手」の準備をするのだそうだ。
中手とは「中稲」と書き早稲(わせ)と晩稲(おくて)の中間期に
成熟する稲のことである。早稲のお米より美味しいのだそうだ。
そのため自家用米にする農家が多く義父もその一人である。
しかし義父はまだ早稲の田植えが残っているので遅れを取っているようだ。
お仲間さんは義父に頼んであった籾種を取って帰る。
「おらも早うに植えんといかんな」と呟いていた。

工場の仕事は順調で例の大型車を納車する。
溶接は鉄工所のKちゃんが昨日済ませてくれていた。
次の車検整備もほぼ完了で明日は納車出来そうである。
てんやわんやなのは経理でゼロではどうしようも出来ない。
午前中に部品屋さんが集金に来るので平田町の銀行に走った。
また「奥の手」を使う。困った時の一時的な借金である。
後はお昼休憩もせずにひたすら支払いのお客さんを待っていた。
そこに母が現われるのが私と母の強い絆であろう。
大口のお客さんであったが内金で支払ってくれた。
仕事が不景気とのことで誰しも苦労しているのだろう。
それから間もなくして支払いが遅れていたお客さんが来てくれた。
最初から月末に支払うつもりだったらしくちゃっかりしている。
「遅うなってごめんよ」と云うので「なんちゃあかまんよ」と笑っておく。
それからがまた面白い。ATMに記帳に行ったら振込入金があった。
月末払いの会社であったがいつもぎりぎりだったので
まさか早目に振り込んでくれているとは思ってもいなかった。
ATMがシャカシャカと音を立てて喜んでいる。
社会保険料が引き落とされた。新聞代も引き落とされた。
何と云う素早さだろう。面白くてたまらない。
事務所に帰るなり義父に報告したが「そうか」の一言だけである。
いくら経理にノータッチとは云え私の桜吹雪が見えぬのかと思う。
義父に話しても喜びが半減してしまうので
母の遺影に向かって「お母ちゃんやったね、ありがとうね」と伝えた。
商売はこんなにも面白い。まだまだ十年は頑張れそうだ。
張り詰めていた糸が切れたようにふにゃふにゃしながら帰った。
※以下今朝の詩
午前四時外は雨
午前四時外は雨 ぽつんぽつんと 雨だれが歌っている
10センチ窓を開けた もう心が渇くことはない しっとりと濡れている
カレンダーを五月にした そうして今日を終えば いつだって明日がある
きっと変わることが出来る 季節はもう初夏なのだろう
紫陽花に花芽が見えたら 私も咲けるかもしれない
ゆっくりと夜明けが近づく たとえ雨であっても 太陽は諦めはしない
灰色の空にだって 希望の光が射しこむ
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