彼岸の入り。あの世とこの世を真っ二つにするようなイメージがある。
季節も同じく冬と春を引き裂くのではないだろうか。
風もなく穏やかな晴天となりすっかり春の陽気であった。
朝の道の春遍路さんも多くなり今朝も三人見かける。
真っ先に背中の荷物を見るのが常になっており
一人は背中がすっぽり隠れるくらい大きな荷物だった。
おそらくテントが入っているのだろう。
昨夜は何処で夜を明かしたのだろうと気になる。
昼間は暖かくなったが朝晩はまだ冷え込むことが多い。
そうして朝食は食べただろうかと気になる。
国道沿いにコンビニはあるが随分と離れた場所であった。
以前に会ったお遍路さんは携行燃料とお鍋を持っていた。
お接待で大根を頂いたが調味料を切らして困っていたのである。
お醤油とお砂糖を届けたのは「お大師堂」での出来事であった。
思い起こせばどれ程のお遍路さんと縁があったことだろう。
今はお大師堂へ出向くこともなくなり情けないことである。

仕事は昨日に引き続き朝から義父が大荒れである。
散々怒鳴り散らしてからまた田んぼの草刈りに行く。
慣れているつもりでもさすがに精神的に辛いものである。
お昼には帰って来てくれて何とか急ぎの仕事だけは済ます。
ただ書類にサインするだけだったがその寸分を惜しむのである。
午前中の作業が捗ったのか機嫌はまずまず良くなっていた。
「お昼もちゃんと食べんといかんよ」と云うと「おう」と素直に頷く。
取引先の中古部品屋さんに届け物があり2時前に退社した。
早目に行動したのが幸いし今日もカーブスへ行けて何よりである。
足の痛みは殆ど無く今日も絶好調であった。
サニーマートでステーキ肉を奮発する。
今日は夫の74歳の誕生日でお肉を食べたがっていた。
いつも遠慮を強いるので今夜は食べたいだけ食べさせてやりたい。
夫の何と嬉しそうな顔。うはうはと美味しそうに食べていた。
ビールだけではなく濁り酒も飲んでいかにも誕生日らしい夜である。
出会った頃には27歳だった夫がもう74歳である。
若い頃の苦労は買ってでもしろと二人で乗り越えて来た歳月だった。
父となりそうして今は祖父となり穏やかな老人である。
「俺はもういつ死んでもええぞ」と聞くたびに悲しくなる。
かと云って夫を残してどうして先に死ねようか。
人生の歯車は規則正しく回り続けていてまだ止まりそうにはない。
もし止まりそうになったら何としても支えようと思う。
夫のいない暮らしなど考えられなかった。
直ぐ後を追って死んでも良いとさえ思う。
「おじいさん」と夫を呼ぶ日々。夫は「ばあちゃん」と私を呼ぶ。
春の真っ只中で生まれた夫が誇らしく愛しくてならない。
※以下今朝の詩
桜便り
桜ちゃんから手紙が届いた もうすぐ春休みだから 家族旅行をするのだそうだ
私の町にも来てくれるって 学校の校庭で会う約束をした お友達にも知らせなくては
ポニーテールが目に浮かぶ 髪も長くなっただろうな 背も高くなっただろうな
どんな話をしようかしら わくわくと胸がたかなる
春が来る度に思い出していた 桜ちゃんが笑うとえくぼが出来て とても可愛らしかったこと
お別れした時には悲しくて 涙がほろほろと流れたっけ
「またきっと会えるから」 指切りをした日がなつかしい
桜ちゃんに会える 春休みが楽しみでならない
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