春は名のみの風の寒さや。
陽射しはたっぷりとあったが風が強く吹き寒さを感じた。
明日も風が強くなるそうで花粉の飛散も多いとのこと。
私は幸い花粉症ではないが夫は毎日薬を飲み続けている。
どれ程の風であっても春には違いなく
今朝も白木蓮の花を仰ぎつつ職場に向かった。
山道の集落にある良心市には先日から何も置いていないが
そろそろ新玉葱やタラの芽が並ぶ頃である。
タラの芽が出始めると道路沿いに大きな看板が出るのだが
まだかまだかと待ち侘びるばかりであった。
峠道は冬枯れた景色が続き何とも寂しい。
セイタカアワダチソウがまるで老婆のように立っている。
新緑の季節にはまだ遠く山の樹々もひっそりと佇む。
峠道を越え山里の集落が見え始めると畑には菜の花が咲き
大根の白い花も咲いており心がほっと和む。
しばらく走っていると民家の畑に大きなミモザの木があり
もう花の盛りは終わりかけているが鮮やかな黄色が見事であった。
もう少し走ると道端に遅咲きの白木蓮の木があり
昨日まで蕾だったのが今朝は咲き始めており何とも可愛らしい。
これが春でなくて何だろうと思う。山里はいちめんの春であった。
寒緋桜がまだ咲いているのを確かめ桃の花が増えているのを確かめる。
そうしてトンネルを抜けると一面の田園地帯が広がっている。
義父の作っている田んぼも見え田植えの光景が目に浮かぶのだった。

義父は今日も高知市で会議があり朝から出掛けて行った。
整備振興会の委員長や理事を任されており年に数回会議がある。
もう高齢だからと退くことをしないのは責任感の強さだろうか。
根っからの「仕切り屋」さんなので一目置かれているようである。
工場は午前中に車検整備と一般修理を完了し
午後は同僚も「のらくら二等兵」であった。
三時過ぎにタイヤ交換の予約が入っていたのでひたすら待機である。
事務仕事もそこそこで午後は欠伸が出るほど暇であった。
同僚と肩を並べて煙草ばかり吸ってしまう有り様である。
そんな暇をこれ幸いとさっさとカーブスへ向かう。
昨日は出来なかったので今日は張り切っていた。
足も軽快に動く。薄っすらと汗をかき何とも心地よい。
「カーブスエッセイ大賞」の募集があるのだそうだ。
全国の応募なので狭い門だが書いてみようかなと思う。
何事も挑戦である。書かなければ何も始められない。
買い物を終え4時に帰宅したら夫が「おやつがあるぞ」と云う。
お昼に娘がお好み焼きを買って来てくれたのだそうだ。
夫は早目に昼食を終えていたので食べ切れなかったらしい。
私は空腹でならなかったので大喜びでがつがつと平らげる。
当然のようにお腹がいっぱいになり夕食どころではなかった。
私にとって食べる事と寝る事は「生きる」ことに等しい。
一番は書く事だがお腹が空いたら力も出ないだろう。
食べて寝て書く。私の身体はそんなシステムで出来ている。
夜明け前に詩を書くのが日課だが
珈琲と煙草は欠かせない。時たま途中で便意をもようしトイレに走る。
「ああすっきりした」とまた詩の続きを書き始めるのだった。
それが不思議と違和感がない。我ながら見事な集中力である。
いったい誰が途中で「うんこ」をしたと思うだろうか。
とんとんとんと日常の事を織るように過ごしている。
糸が切れたりほつれる事もあるが気にしないことだ。
織姫は一年に一度しか愛しい人に会えないが
私は毎日愛しい人に会うことが出来る。
※以下今朝の詩
シクラメン
耳を澄ましている それは微かな音だった
冬の花でありながら たくさんの蕾をつけ 日々を咲かせている
きょうの花あすの花 紙縒りのような蕾が 次々に開いていく
首をもたげている蕾もある いったい何が哀しいのだろう 寄り添えばきっと 打ち明けてくれるだろう
きょうの花あすの花 いのちの音が聴こえている
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