晴れたり曇ったり。日が暮れてから雨が降り始める。
この雨で寒の戻りも収まるかもしれない。
一雨ごとに春が深まるのを待ち望むばかりである。
梅の花はすっかり散ってしまい河津桜も葉桜となった。
後一週間もすれば染井吉野が咲き始めることだろう。
高知よりも東京の開花が早いとのこと何だか不思議でもある。
庭先の葉牡丹がすっかり伸びて小さな花芽が見え始めた。
菜の花とよく似た花が咲くのも楽しみである。
花屋さんでは売れ残った雪柳が何とも憐れだった。
値下げもせずに隅の方に押しやられているが
もう買い求める人も居ないことだろう。
新しい花がたくさん並んでいるので余計に憐れに見える。
老いも若きもと云うべきだろうかどんな姿でも花に違いない。

今日は義父の友人夫婦が2組も来てくれてハウスへ苗を運んでいた。
育苗機の中の早苗はもう5センチ程に伸びていて驚く。
軽トラック2台でひっきりなしに苗を運んでいた。
人手は多いほど助かりお昼前には全ての苗を運び込む。
義父は休む間もなくまた次の種籾の準備を始めていた。
その傍らで車検完了の車を愛媛の愛南町まで納車に行ってくれる。
あれもこれもと一つの身体では足りない忙しさであった。
午後も新たな車検の車が入庫し同僚も休む暇もない。
私もカーブスどころではなくなり一時間の残業となった。
諦めたくはなかったが何を優先するかである。
もし仕事を放り出して行ったとしても楽しめるはずはない。
これは大切なことでこれからも教訓にしようと思う。
買い物を終えて4時半に帰宅。夫と少しだけ大相撲を観ていた。
5時前に自室に行きSNSを見ていたら通知があり
真っ先に「笠原メイ」さんの日記へ飛んで行く。
今日は一番だった。子供みたいに嬉しくてならない。
淡々とした日記であったが感動せずにはいられなかった。
最後の詩には不思議なリズムがある。
何だか言葉が踊っているような軽快さがあった。
おそらく何か音楽を聴きながら書いているのだろう。
スマホではなくパソコンでその動く指先が目に見えるようだ。
私の詩を「オン書き」だと教えてくれたのは詩人の白井明大さんだが
ずっと「めいさん」と呼ばせてもらっていて「メイさん」と重なる。
これはあくまでも偶然であるが不思議な縁を感じた。
おまけに我が家にも「めいちゃん」が居るのである。
たった一度きりの人生に三人の「めい」に恵まれたのだろう。
そんな人生も残り少なくなったが魂は何度でも巡り会うのだそうだ。
たとえ死んでしまっても来世できっとまた会えるのである。
「いま」がその来世だとしたらいったいいつ出会っていたのだろう。
そう思うとこの記憶を永遠に保ち続けたいものだ。
※以下今朝の詩
仕舞い
浮んでは沈むようなこと 冬であったり春であったり
早春を知らせた花が散り急ぎ 葉を残せばそれも春であった
裸木となる仕舞もある もう何も身に着けずに 枝を空に伸ばすばかり
陽射しは隔てなく降り注ぐ 風の声も優しくなったようだ
季節の栞がはらりと落ちる ここまでではない ここからなのだ
向かうべき道が見える 苦にするようなことは 何ひとつないのである
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