陽射しはたっぷりとあったが強い北風が吹く。
気温も11℃までしか上がらず寒い一日だった。
春彼岸まであと10日ほどだが寒の戻りとなり
明日の朝は真冬並みの冷え込みとなりそうである。
春らしい花があちらこちらに咲き
気分はすっかり春だが季節は行きつ戻りつしているようだ。
朝の道で白木蓮を仰ぎ見て寒緋桜を愛でる日々。
今朝はもう咲くことはないだろうと諦めていた桃の花が咲いていた。
老木らしく枝ぶりは悪いがまるでしがみつくように咲いている。
病ではなかったのだ。なんとほっとしたことだろう。
ひとつまたひとつと朝の楽しみが増えて行く。

同僚が通院のため午前中は静まり返っていた。
義父はいよいよ種蒔きをするらしく忙しない。
一人では無理な仕事で彼女さんが手伝いに来ていた。
事務所は素通りで作業場に向かい挨拶も出来ない。
義父にとってはもはや家族のような人だった。
午後には同僚が来てくれて工場に活気が戻る。
車検整備が完了しその後はオイル交換があった。
それが終わるとまた新たな車検整備である。
同僚一人を忙しい目にあわせて申し訳なく思う。
来客もあったりで定時では終われず3時に帰路に就く。
土曜日は「FMはたらんど」が楽しみでならない。
市内で居酒屋を経営している「たかちゃん」がレギュラーなのだ。
もう何年も会ったことはないが声は昔と変わらなかった。
話しの語尾に「にゃあ」を付けるのが癖であったが
たとえば「そうじゃにゃあ」とか「ちがうにゃあ」とか愉快である。
猫が好きで居酒屋の壁には猫の写真がいっぱい貼ってあった。
昔はよく飲みに行ったがもう忘れられているかもしれない。
何処かで偶然に会ったとしても私だとは分からないと思う。
足の悪い太ったおばあちゃんになってしまった。
先日中学時代の友人から「古希同窓会」の案内が届いたが
迷うことなく欠席の返事を出した。
友人は私の事情をよく知っているので何も云っては来なかったが
それも寂しいような複雑な気持ちである。
しかし本音を云えばもう誰にも会いたいと思わなくなった。
同時に変わり果てた私の姿を誰が見たいだろうと思う。
生き生きと老いたいとここに記したこともあったが
心と身体は決して一対ではないのである。
残り少ない人生である。もっと居直ることも大切だろう。
そうして愉しみながら生きるのが一番だと思う。
特別な事はなるべく避けたい。ただただ穏やかな日常を願って止まない。
※以下今朝の詩
白木蓮
手のひらを合わせて 「もったい」をする それは土地の言葉で 祈りと願いを表す
白木蓮が咲いた朝のこと 幼子の手のひらのように 花びらはふっくらと対になり 空に願いを放っているのだった
純白の澄んだこころである あどけない願いは空の一部となり そよ吹く風に揺らぎ続けている
いったい何を願うのだろう 誰も知らないことであった
「もったい」の声がこだまする 何処までも広い空だからこそ 仰ぎ見ることが叶うのだった
合わさった花びらには 天使が宿っているようである
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