晴れのち雨。午後には黒雲が立ち込め雷雨となった。
強風注意報も出ておりまるで嵐のような夜である。
朝の国道沿いにはそれは大きな木蓮の木があり
今朝は白い花が咲き始めており歓声を上げた。
昨日はまだ蕾だったのでもう少し先だと思っていたが
まさか今朝咲いているとはまるで夢のようである。
幼子が手を合わせたような木蓮の花が好きでならない。
朝の楽しみがまたひとつ増える。いっそう清々しくなるだろう。
山里の県道に差し掛かると例の「寒緋桜」が出迎えてくれる。
まだこれから満開となるのだろう。昨日よりも花が増えていた。
散ってしまう姿を想像すると切なくてならないが
最後まで見届けてやりたいと思う。

仕事はやっと義父が工場に目を向けてくれて活気が出て来る。
廃車の依頼があった車を三台も引き取りに行ってくれた。
年度末なので廃車の依頼が多くまだまだありそうである。
お昼にお客さんから電話があり畑の白菜を処分したいとのこと。
先日も貰ったばかりだが遠慮なく頂くことにした。
巻かない種類の白菜で「山東菜」と云うのだそうだ。
葉がとても柔らかく美味しい白菜である。
お宅へ行くと庭先の木蓮が咲き始めていた。
朝の木蓮とは違いすぐ近くで見られるのが嬉しい。
白菜を後回しにして写真を撮っていたら
裏庭にも珍しい花が咲いていると招いてくれた。
薄紫と黄色の二種類の花が一面に群生している。
高知県でも山間部の嶺北地方に咲く山野草なのだそうだ。
花期は5月まででその後は葉の跡形も見えなくなると云う。
それが早春になると萌え始め可愛らしい花が咲き始めるのだ。
地べたに膝を付き夢中になって写真を撮った。
悪い足の事など考えもしなかったので立ち上がれなくなる。
お客さんに抱きかかえてもらってやっと我に返る有様だった。
「毎年咲くからまたおいでよ」それがまた春の楽しみとなる。
大量の白菜を車に積み込んで貰って職場へ帰った。
義父が大喜びでお魚のアラと煮たら幾らでも食べられると云う。
私は昨夜も八宝菜にしていたので今回は全て義父に置いて帰る。
いつも自炊をしている義父の姿が目に浮かび微笑ましくてならない。
今日も定時では終われなかったがカーブスは諦めなかった。
お仲間さん達とまた来週の約束をして笑顔で別れる。
サニーマートで半額の有頭海老をゲットし心が浮き立つ。
今夜もまたあやちゃんの大好きな海老フライだった。
6時過ぎからのローカルニュースにめいちゃんが出るとのこと。
今日は四万十川の青さ海苔の調理実習があったのだそうだ。
テレビ局と新聞社が取材に来ていて緊張したようだが
インタビューに応えるめいちゃんは素晴らしい笑顔だった。
青さ海苔はほぼ全滅であったが今年も僅かな収穫があるらしい。
我が家のように廃業をせずに細々と続けているかつてのお仲間さんがいた。
以前のような活気はないが守り続けようとしている人がいることを
決して忘れてはならないとつくづく思った。
もう二度と携わることはないが40年以上も続けて来た家業である。
その記憶は「人生の宝」であり生涯忘れることはないだろう。
※以下今朝の詩
おねえちゃん
母さんの声が聴こえる 直ぐ近くから聴こえる
「おねえちゃん」と呼ぶ声 それは子供の頃から変わらない
弟が生まれたのは三歳の時だった その時の記憶は全くないのだが 父が撮ってくれた写真が今もある
赤ちゃんがよほど嬉しかったのだろう 少し照れ臭そうに微笑みながら 寝ている弟の顔を覗き込んでいた
母の膝の上にもう座れない お姉ちゃんだから我慢する 寂しい時もあっただろう しかし記憶は残っていない
弟が泣くと母はしっかりと抱き 白い乳房を含ませていただろう そうしてすくすくと成長していった
「おねえちゃん」と呼ぶ声 それはおとなになっても変わらず 母が亡くなったいまも聴こえている
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