二十四節気の「大雪」本格的に雪が降り出す頃であるが
日中は陽射しに恵まれ穏やかな小春日和となった。
しばらくは暖かい日が続きそうだがまた寒波が襲って来るだろう。
「今のうちに」と思う。こころの日向ぼっこである。
玄関先に娘が植えてくれたのか名も知らぬ花が咲いていた。
白と薄紅色でとても小さな花である。
多肉植物には詳しくないが、冬を越す種類もあるようだ。
娘は冬囲いをするでもなくそのままに置いてある。
今日は行けなかったが年末までに葉牡丹を買って来よう。
そうすれば玄関先の彩となり晴れ晴れと新年を迎えられそうだ。

今日は久しぶりに「一風」に行こうかと話していたが
地区の中割金を納めなければならずお財布が寂しくなる。
「節約せんといかんぞ」夫の一言で外食は却下となった。
北風がおさまっていても貧乏風の何と冷たいことだろう。
お昼にはまたお好み焼きを作って食べる。
それだと二人分で5百円も掛からない。
夫はビールを飲んでいたが贅沢とは云えないのだろう。
何の楽しみもない夫にとって唯一の楽しみであった。
お腹が一杯になり午後は例の如くでお昼寝だった。
通電はしていないが炬燵布団の何と有難いことだろう。
夢も見ずにぐっすりと眠る。
3時前に目覚めよっこらしょと「おでん」の支度を始めた。
この二日まともな夕食を作っていなかったので
今夜こそはと思う。夫も楽しみにしているようだ。
弱火でことことと煮る。2階にまでおでんの匂いが漂う。
5時が近くなり買い忘れた物があるのを思い出し
近くのセイムスまで行く。おでんの火はそのままであった。
買い忘れていた柔軟剤を抱え店内をよろよろと歩いていたら
目移りがするくらい色んなものがとても安いのだ。
最近はアマゾンで買うことが多く目から鱗であった。
アマゾンはとても便利だが程々にしなければと思う。
レジに向かうと何とポイントが20倍で夢に餅である。
帰宅するとおでんはよく染み食べ頃になっていた。
夫の入浴が済むと直ぐに食べ始める。
娘が何となくつんつんとしていて気になった。
「おでん」は孫達が食べないからと「鶏そぼろ」を作り始める。
おでんにはあやちゃんの好きな鶏の手羽元も入れてあった。
「まあいいか」いちいち気にしていたら身が持たない。
好きなようにすればいい。家族のようで家族ではないのだと思う。
ゆっくりと休めた日曜日であったが
明日からの仕事のことを思うと身が引き締まるようである。
連日車検の予約が入っているので忙しくなるだろう。
しかし忙しいばかりで資金繰りはとても厳しかった。
何としても年末を乗り越えなければならない。
ずっと順調だったのが今年ほど苦しかった年はなかった。
苦もあれば楽もある。毎日が小春日和だとは限らない。
雨が雪に変わる日もきっとあるだろう。
けれども終わらない冬はない。そう思って耐え忍んで行きたい。
いったい私はいつまで試されるのだろうか。
もしかしたら生きている限り続くのかもしれない。
※以下今朝の詩
屑
ぐしゃぐしゃにして まるめたの びりびりとちぎって かけらにしたの
そうしてごみにすれば さっぱりときもちいい
憂鬱には種がある 鬱憤には根がある
だから育ててはいけない 水遣りもしてはならない
かと云って無視出来ないから 運命みたいに囚われてしまう
いっそ火をつけて 燃やしてしまおうか
むしゃくしゃが灰になる もう思い煩うことはない
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