ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月01日(月) 姉と妹

晴れのち曇り。曇ってからも気温は高く暖かな一日となる。

このまま小春日和が続けばどんなにか良いだろうか。


山里は霧の朝であった。幻想的な景色の中を

鈴の音を鳴らしながらお遍路さんが歩いていた。

まだ八時前のこと、いったい何処から歩いて来たのかと思う。

山里にも民宿はあるが方向的に泊まっていたとは思えない。

土佐清水市内の宿だとしても真夜中に出立したのだろうか。

重そうな荷物ではなかったので野宿は考えられなかった。

声を掛けて訊ねれば分かることだがタイミングが悪く残念である。

気になりながら横顔に会釈をして通り過ぎるしかなかった。

お遍路さんは気づいた様子もなくひたすら歩を進めている。



とうとう師走となりしょっぱなからあれこれと気忙しい。

同僚は消防車の点検を。義父は一般修理であった。

午前中にタイヤ交換のお客さんもあり大忙しである。

納車もあったが同僚と行くことにして義父を田んぼに送り出す。

一般修理は部品待ちで明日にならないと入庫しないのだそうだ。


同僚と納車に行ったら直ぐ目の前の田んぼに義父の姿があった。

刈った草を少しずつ燃やしているようで何だかはらはらする。

もし火災になれば過失では済まされないだろうが

風のない穏やかな天気で何よりと思う事ことにする。


今夜は昨日亡くなったお客さんのお通夜があり

その上に近所でも不幸がありお通夜の掛け持ちとなった。

田んぼも早めに切り上げて帰って来なくてはいけない。

時間に追われている義父も何だか可哀想に思えた。


今日は「年賀状じまい」の葉書を出す。

義父の友人が主だったがお客さんには出さないことにした。

義父はいささか機嫌が悪く「会社が潰れたと思われるぞ」と怒鳴っていたが

「おまえの好きなようにせよ」と最後には了承してくれた。

新年の挨拶は礼儀ではあるが取引先からも「年賀状じまい」が届いていた。

喪中欠礼の葉書も多く私も出足を挫かれたような気持になる。

これも時代の流れだろう。世の中が変わりつつある証拠に思えた。


郵便局へ行ってから3時前に帰路に就く。

同僚もお通夜に参列するため早退の予定であった。

明日以降も車検の予約が入っており今週も忙しくなりそうである。


4時前に帰宅し30分程自室で過ごす。

SNSを見ながらアイスコーヒーと煙草であった。

仕事の疲れは感じておらずのほほんと過ごす。


5時になってもめいちゃんが帰って来ない。

娘も心配になったのだろう学校まで様子を見に行った。

あやちゃんも心配して階下へ降りて来ていた。

日暮れは早くもう暗くなってからやっと帰って来た。

学校の校庭で友達と縄跳びをして遊んでいたのだそうだ。

「帰って良かった」とあやちゃんの声がとても優しい。

幼い頃からずっと仲良しの姉妹だったのだ。

しかし不登校になってから一緒に過ごす姿を見たことがない。

夕食も別々に食べており何だかお互いが避けているように感じる。

優等生のめいちゃんに引け目を感じるのは当然のことだろう。

けれどもいつも通りに帰って来ないと心配でならなかったのだ。

姉として妹を思う気持ちは何があっても変わらないのだと思う。

私は祖母としてその優しさが嬉しくてならなかった。


ふたりを決して区別してはならない。

姉であり妹であることはいつまでも絆としてあるだろう。

あと10年もすれば立派な「おとな」になる。

そんなふたりの姿を見届けるまでは死ぬわけにはいかないのだ。


※以下今朝の詩


  師走

ふゆはきらい
ふゆはかなしい

母さんが消えてしまった
犬ころのように
わたしを捨てて行ったから

さむくてつめたいあさ
霜が雪のように見えた
かじかむてのひらを
ぎゅっとにぎりしめて
父さんに知らせにいく

父さんは遠い町に居て
直ぐには帰って来ない

おとうとがないている
けれどもわたしはなかない

ないたって母さんは
帰って来ないのだもの

その日はわたしの生まれた日
母さんは忘れていたのだろうか

かあさんなんてだいきらい
しんでしまえばいいとおもう






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