ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月02日(火) 明日は未来

晴れたり曇ったり。気温は20℃まで上がり暖かくなった。

明日の夕方から猛烈寒波だそうで身構えている。

氷点下の朝もありそうで身体が付いて行くだろうか。

不安がってはいけないが怖ろしくてならない。

どうしてもっとあっけらかんと構えていられないのだろう。

昨夜お通夜だったお客さんはやはり心臓麻痺だったそうだ。

寒さは和らいでいても心臓に負担が掛かったのだろう。

何の心構えも無い突然の死である。

寒さイコール死とは限らず入浴イコール死でもないが

心細さに拍車を掛けるような訃報であった。




義父は午前中に歯医者さんへ。治療は順調らしいが

また10日後に行かなければならないそうだ。

何とか年内に治療を終えたいものである。


高齢になると最初に歯、次が目だと云わているが

この先どんな苦難が待ち受けていることだろう。

どうしようもなく老いていく。それは私も同じであった。

どれ程健康に留意していても避けられないことがある。


午後は一般修理を済ませてくれて納車にも行ってくれた。

腕の良い職人気質が何とも頼もしい。

田んぼにも行きたいだろうに二足の草鞋も擦り切れてしまいそうだ。


事務仕事は一段落していたので定時で帰路に就きカーブスへ行く。

仕事を終えてから身体を動かすのは何とも心地よいものだ。

やはりこれは癖になり火曜日のカーブスを続けようと思う。

買い物をしていてもカートを押すのが辛くない。

颯爽とは行かないがちゃんと歩けるのが嬉しかった。


4時には帰宅しており寝転ぶ時間もある。

夫に「今日の出来事」を話すのも日課であった。

明後日が私の誕生日なのを覚えていてくれて

「おまえも69歳か」とびっくりしたように話す。

お互いに歳を取ったものだ。もうすっかり老人である。

金婚式まであと4年だろうか。二人揃って元気にその日を迎えたい。


過ぎ去った日々が走馬灯のように目に浮かぶ。

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と云うが

買うどころか常に苦労に満ちた日々であった。

貧乏のどん底で二人の子供達を育て

自己資金ゼロのままで今の家を建てたのである。

幸い海苔養殖の収入があったがそれも今は途絶えてしまった。

もう「川漁師」も諦め捨てた事にも等しい。


未来はあるようで心細くこの先いったい何が待っているのだろう。

「死」しかないとは思いたくない。「生きたい」欲にしがみつく。

夫はもう十分に生きたと云うがその言葉が哀しかった。

私を残していったい何処に行くと云うのだろう。


昨日が過去なら明日は未来である。

毎日そうして縫うように暮らして行きたいものだ。


※以下今朝の詩


   あかし

真っ只中にいると
こどくなのかもしれない

深まろうとする冬
たちすくむはだかのき

亡骸のような葉に埋もれ
つちのこえにみみをすます

独りぼっちではないはずなのに
どうしてこんなにさびしいのか

幾つもの季節を生きて来た
ほほえむひもあったろうに

雨の日も風の日もあった
いのちだけがよりそっている

この冬を乗り越えればきっと
わかばのきせつがやってくる

生きた証を残さねばならない
なにもうしなってなどいないのだ


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加