ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年11月21日(金) 陽だまりの縁

日中は今日も小春日和。黄色い蝶々が飛んでいるのを見た。

予報ではあと一週間は穏やかな天気が続きそうだ。

そうして師走が目前となればまた寒波がやって来るのだろう。


皇帝ダリヤや栴檀の実を仰ぐ朝、お遍路さんの姿も見える。

大きな荷物のお遍路さんはリュックにお鍋をぶら下げており

野宿の旅なのが見て取れる。以前には大根をぶら下げているお遍路さんもいた。

今はまださほどの寒さではないが日に日に冬が深まることだろう。

雨の日もあれば雪の日もある。まさに修行のような旅であった。



同僚が精密検査のため今日は病院へ行く。

義父も田んぼに出掛け職場は開店休業状態であった。

車検は一段落しており特に急ぎの仕事はなかったが

バッテリー上りのお客さんから要請があり

例の充電機を持って私が駆け付ける。

二度目の事なので手順は憶えており直ぐにエンジンが始動した。

おそらく明日の朝もバッテリーが上がることだろう。

そうなればもうバッテリーを交換するしかない。

お客さんにそう説明をして出張料金は貰わなかった。


修理ではない来客が3人程あったが世間話をするばかりである。

それも仕事の内で和気あいあいと楽しいものだ。

お孫さんが自動車学校へ通っているそうで車が売れるかもしれない。


午後2時になりやっと義父が帰って来た。

さすがに空腹には耐えられなかったのだろう。

しかし今朝ご飯を炊き忘れていたそうで昼食どころではなかった。

売れ残りかもしれないがお弁当を買いに走る。

思った通りに義父が好むようなお弁当は無かった。

仕方なく田舎寿司を買い求め義父に我慢してもらう。

食べ終わるなり休むこともせずまた田んぼへ出掛けて行く。

後姿を見ると酷くやつれている様に感じた。

気は若くても82歳の高齢者である。

どれほど身体に堪えていることだろうか。


義父を見送ってから私も帰路に就いた。

今日もラジオにメッセージを送っていたが

どうやらボツになったらしい。

そうそう読まれるものではないのだなと思う。

先週はたまたまラッキーだったのだろう。


4時に帰宅して少しだけSNSをチェックしていたのだが

昨日安否を気遣った人が私のポストに「いいね」をしてくれていた。

きっと「生きていますよ」と知らせてくれたのだろう。

これ程の安堵があるだろうか。胸に熱いものが込みあげて来る。

私は私に出来る精一杯のことをしたつもりだが

その人にとってそれが善だったとは限らない。

もしかしたら余計なことだったのかもしれないのだ。


縁とは儚いものである。これまでどれ程そう思い知ったことか。

特に顔の見えないネットの世界では糸のようにぷつりと切れる。

一度切れてしまうともう二度と手繰り寄せることが出来ない。

そうしてお互いが傷つく。悲しい思いをするしかないのだった。

それでも私はネットの世界にしがみついているようだ。

目に見えないからこそ通じ合うことがきっとあるのだと信じている。


※以下今朝の詩


   天の国


ねえどこにいるの?
訊ねても声は聞こえない

空に違いないとおもう
広く果てしなく広がる
そこが天の国なのだ

父がいて母がいる
私がコロシタアノコもいる

ふかふかの白い雲
そよそよと吹く風

一日中下界を見ている
悲しいことがありませんように
幸せに暮らせますように
寂しくありませんように

朝は朝陽に手を合わせ
夕には茜色の空を仰ぐ
夜には満天の星を掴む

そうして尽くし続ける
それが天の国の一日であった

抱きしめてやりたい
けれども滅びた肉体は
魂に姿を変え彷徨っている

どうして忘れられようか
守りたい一心で生きている


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