二十四節気の「小雪」寒さが厳しくなり雪が降り始める頃。
朝は冬らしい寒さとなったが日中はぽかぽか陽気だった。
本来は小雪からの暖かさを「小春日和」と云うのだそうだ。
冬を代表する山茶花の花も咲き始めている。
一重もあれば八重もありその可憐さは寒さを和らげてくれるようだ。
「さざんかさざんか咲いた道 たきびだたきびだ落ち葉焚き」
ついつい口ずさんでしまうものである。
急ぎの車検があり今日は出勤していた。
朝のうちに車検を済ませ義父はまた田んぼに出掛ける。
新しい草刈り機を買ったばかりだがもっと大きな草刈り機を
農業公社からレンタルしているのだそうだ。
おそらく「草刈りマサオ」であろうと思われる。
昨年も確かレンタルしていたことを憶えていた。
午前中には来客がありバッテリー交換とタイヤ交換であった。
どちらも在庫を置いてあるので直ぐに出来る。
午後は来客無し。電話も鳴らない土曜日だった。
同僚はまたスマホで遊び始めどうしようも出来ない。
昨日の大腸の検査はまだ結果が分からず
また来月精密検査をするのだそうだ。
こちらの心配をよそに本人はあっけらかんとしている。
良性のポリープなら良いが悪性のがんなら大変なことになるだろう。
とにかく来月の検査次第で同僚は至って元気であった。
午後二時半になっても義父は帰って来なかった。
今朝はご飯を炊いただろうか確かめることも出来ない。
帰るまで待とうと思っていたが特にする仕事も無く退社した。
今までも昼食を食べないことはよくあったが
どんなにか空腹だろうと気遣わずにはいられない。
サニーマートで買物をしていたら義父の末妹の叔母に会った。
鮮魚売り場で二人して「オバタリアン」になる。
店員さんが半額シールを貼っていて気になってならない。
叔母が牡蠣の賞味期限を見て「これも半額になる」と喜んでいた。
店員さんが笑いながら「ちょっと待ってね」とシールを貼ってくれる。
今夜は「寄せ鍋」の予定だったので私も大喜びで買い求めた。
今年は広島の牡蠣が全滅状態と聞いていたが
解凍牡蠣だったのでおそらく昨年の牡蠣だったのだろう。
それでも市場に出回るだけでも幸いに思う。
冷凍牡蠣が底を尽けば今年の牡蠣はもう食べられないかもしれない。
四時前に帰宅し夫と大相撲を観ていた。
夫が得意げに解説してくれるのでそれも面白いものだ。
明日はもう千秋楽だがいったい誰が優勝するのだろうか。
それにしても二週間の何と早いことか。
あらあらと云う間に今年が終わってしまいそうである。
気の早い夫は息子が元旦は仕事だろうかと案じていた。
まったく音沙汰がないがそれが元気な証拠だと思う。
五時になれば娘が手早く寄せ鍋を作ってくれた。
そうして役目終了とばかりにダンス教室へ出掛けて行く。
「行って来ます」とめいちゃんの明るい声が嬉しかった。
それなりに今週の仕事を終え何とも清々しい。
毎朝出かける時には父と母の遺影に声を掛け
母には「行こうかね」と告げ父には「行って来ます」と告げる。
母はそうして私と一緒に仕事をするのである。
どん底になれば必ず助けてくれる頼もしい母であった。
生前には云い争うばかりでどれほどぶつかったことだろう。
母でありながら母とは思えなかった長い歳月があった。
憎んではならないと何度自分に云い聞かしたことかと思う。
それが死んでしまってから私を助けてくれるのだ。
母の存在はそれ程までに偉大だったのだと思う。
「明日も明後日もゆっくり休もうね」
今夜もそう声を掛けて眠りに就く私であった。
※以下今朝の詩
柿
柿の葉が散る はらりと散る
実は熟し切り 腐りはじめる
やがてそれも 落ちるだろう
ぐっしゃりと 潰れてしまう
もう誰も手を伸ばさず 鳥さえも見向きもせず
それでいて空が青いのは 生きた証ではあるまいか
最後には種が残る 陽射しを浴びれば 干からびていくが 嘆くことをせずに 未来を信じている
柿色の夕陽が沈む 季節はもう冬である
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