| 2022年12月08日(木) |
たかがお湯されどお湯 |
快晴。優しい陽射しが降り注ぎ暖かな一日となった。
栴檀の木の実がきらきらと輝き花のように見える。
実がなる木は沢山あるけれど私は栴檀の木が一番好きだ。
あちらこちらで見かけるのは鳥が実を運ぶからだそうだ。
実を食したことはないが鳥にとっては貴重な糧なのだろう。
八つ手の花も満開になった。白くて清楚な花である。
縁起物だと聞いたことがあるがかつて母が植えていたのだろう。
もう母の目に触れることも無くふと切なさが込み上げてくる。

夕食後、食器を洗いながら父のことを思い出していた。
確か16歳の冬のことではなかっただろうか。
洗い物をするのに冷たいだろうと瞬間湯沸かし器を買ってくれたのだ。
当時はまだ贅沢品で高価な物だったと記憶している。
ボタンを押すとガスの炎が見えて「ボボ」っと音がした。
そうして蛇口から温かいお湯が出て来るのである。
私は夢ではないかと思うほど感激で胸がいっぱいになった。
それ以来食器洗いが大好きになったのは言うまでもない。
父はいつも優しかった。私を不憫に思っていたのかもしれない。
そんな父のことを母は知りはしないのだ。
いったいどれほどの憎しみがあったのだろうかと思う。
話すきっかけもないまま歳月は流れるばかりだったのだ。
20歳の頃、母を頼らざる得なかった私は短期間ではあったが
母と義父の暮らしに身を寄せていた時があった。
台所には当たり前のように瞬間湯沸かし器が備えてある。
それだけで母が幸せであるように思えた。
たかがお湯。されどお湯。些細な記憶なのかもしれない。
いつまでもここにはいられない。
わずか数か月後、私は母の元を潔く去って行った。
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