| 2022年10月02日(日) |
明日がきっとありますように |
残暑と言うより「秋暑し」と言った方が良いだろう。
もう10月だと言うのにほぼ真夏日の気温になる。
彼岸花が枯れ始めた。どす黒い血のような色。
よけいに怖ろしくなってつい目を背けてしまう。
けれども最後まで見届けてやらなければいけない。
緑の葉がその亡骸をきっと包み込むことだろう。
お隣のご主人のお葬式。お向かいのご夫婦と一緒に参列する。
なんとか他言無用を守り続けたけれどやはり複雑な気持ちであった。
私達以外は親族のみでわずか30名ほどの寂しいお葬式だった。
コロナ禍のせいもあるけれど遺族の意志で
今後のおつきあいが出来なくなるのが一番の原因らしかった。
奥さんは家を手放し娘さんとの同居をもう決めているとのこと。
お隣づき合いが出来るのも49日忌までではないだろうか。
奥さんも高齢なのでそれは致し方ないことにも思える。
今生の別れになることだろう。それも寂しくてならない。
亡くなられたご主人はとても安らかな顔をしていた。
それだけが救いに思える。ただただ冥福を祈るだけだった。
昔、何かの本で読んだことがあるのだけれど
自分のお葬式に誰が来てくれるか考えてみなさいと
あの人もこの人もと沢山の顔が浮かんだことだった。
私は「緊急連絡先」と称し電話番号を記し部屋に貼り付けたことがある。
娘がきっと皆に知らせてくれるだろうと信じていた。
歳月が流れてしまうと一人消え二人消える。
決して縁が切れるのではないけれど心に遠慮が生じてくるのだった。
もう迷惑なのかもしれないと思う。歳月にはそんな儚さもある。
今はもうその紙を破り捨ててしまったけれど
また新たな連絡先を記して置きたいと思うようになった。
遠方の友が多いけれどきっと駆けつけて来てくれるに違いない。
最期になんとしても会いたい。私の亡骸に声を掛けて欲しい。
そうでなければ私はどれほどの未練を残すことだろう。
歳を重ねるごとに人の「死」に慣れてくる。
悲しみよりも観念を感じることが多くなった。
出来ることならば長生きをしたいけれど
こればかりは自分の意志で叶うことではなかった。
希望はある。未来だってきっとあるだろう。
けれども生きれば生きるほど「死」が身近になって来るのだった。
「明日がきっとありますように」祈り続ける日々が続いている。
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