窓から三日月が見えている。まるで一切れの檸檬のようだ。
そんな月を仰ぎながら一日を振り返るのも良いものである。
カレンダーを10月にしたら一面の秋桜畑だった。
ラジオから山口百恵の「秋桜」が流れてくる。
母を想った。胸に熱いものが込み上げてきて涙がこぼれる。
早朝にお大師堂へ。ほぼひと月ぶりではなかっただろうか。
花枝(しきび)が気になっておりあらかじめ準備して行く。
これだけは人任せに出来ない。私の役目なのだと思っている。
日捲りの暦を今日にして花枝を活け替える。
さらさらと川のせせらぎの音を聴きながら般若心経を唱えた。
家族皆の平穏無事を祈らずにいられない。
神様は出雲の国だけれど仏様はきっと身近に居てくれるだろう。
ふとそんなことを思いながら手を合わせていた。
お線香の補充をしようとしたらもう買い置きがなかった。
買うことは容易いけれどすぐに持ってくる自信がない。
今朝は特に足の痛みが酷く歩くのも辛いほどだった。
仕方なくSさんに頼むことにして書き置きを残す。
手水鉢の水も空っぽ。ああどうしようと困り果てる。
川の水を汲みに行けない。なんとも情けない有り様だった。
Sさんや他のお参り仲間さんがきっと気づいてくれるだろう。
後ろ髪を引かれるようにしながらお堂を後にする。
疎かにしていることばかりだけれど私は精一杯であった。

買物を済ませてからカーブスへ。
先週は川仕事があり休んでいたので2週間ぶりだった。
例の親身になってくれるコーチが不在でなんとなく心細い。
案の定、足の痛みを気遣ってくれる人もなく気分が塞ぐ。
新人コーチが声を掛けてくれたけれど社交辞令に聞こえる。
頑張れないのに「頑張りましょう」とは辛いものである。
気分転換を兼ねてすぐ隣のセリアに寄っていた。
娘が働いているお店なので見つからないようにこっそりと。
「恥ずかしいので来ないで」といつも言われているのだった。
可愛らしいお皿を見つけたので孫たちにと買い求める。
レジに娘が居なかったのでこれ幸いと逃げるようにお店を出た。
気分転換が出来るうちはまだ大丈夫だと思う。
負にばかり囚われてしまうと本当に壊れてしまいそうだ。
けれども世の中には不治の病と闘っている人もたくさん居る。
私の足の痛みなど本当に些細なことなのではないだろうか。
命に係わることではないそれだけで恵まれているのだと思う。
70歳、80歳と人生はまだまだこれからなのだ。
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