雲ひとつない快晴。空がいっそう高く感じる。
風は沖の風。海からの南風を土地の言葉でそう云う。
それは涼風となり微かに秋を匂わすのだった。
娘達は午前中から川遊びに出掛ける。
夏休みも残り少なくなり孫達の良き思い出となったことだろう。
ふとけい君のことを想った。どうして過ごしているだろうかと
多忙な息子のこと、子供の夏休みに付き合うどころではないと察する。
青白い顔をしたけい君の姿が目に浮かび憐れに思うばかりだった。
今夜は納涼花火大会が行われる。
四万十川の河川敷からたくさんの花火が打ち上げられるようだ。
あれは息子が3歳の時だったからもう40年も昔のこと
お舅さんの川船で花火を観に行ったことがある。
すぐ間近で観る花火のなんと素晴らしかったことだろう。
お舅さんにとってはそれが最後の花火になってしまった。
夏の終わりに癌を患い秋が深まった頃に亡くなってしまったのだ。
今なら早期発見で治療も叶うけれどその当時は発見が遅れ
体調を崩した時にはもう手遅れになってしまっていた。
今思えばお舅さんには虫の知らせがあったのかもしれない。
「今年は船で観に行こうや」と満面の笑顔で言ったのだった。
せつない思い出となってしまったけれど懐かしく心に残っている。
花火は鎮魂でもある。決して華やかなことばかりではない。
これも昔の話だけれど純白の花火を仰ぎながら泣いたこともあった。
色とりどりの花火が多い中、どうして純白だったのだろう。
女心にそれがどうしようもなく切なく感じたのだった。
すぐにある人に電話をしたけれど繋がらなかった。
心が押しつぶされるように寂しかった記憶だけが残っている。
今夜は土手から遠い花火を観ようと思っている。
そうして私の夏が終わっていくことだろう。
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