朝のうちつかの間の青空。その後は薄曇りとなりとても蒸し暑くなる。
鮮やかに咲き誇っていた紫陽花がとうとう枯れ始めてしまった。
桜のように潔く散れない花はなんとも切ないものだ。
毎年のことだけれど目を背けてはいけないと思う。
やがては化石のようになってしまう花を最後まで見届けてやりたい。
ついつい我が身に重ねてしまうけれど定めのようなことを
私はどれほど受けとめているのだろう。もがいたり嘆いたり
もしかしたら咲いてなどいなかったのかもしれないと云うのに。
紫陽花は毎年咲いてくれるけれど人生は一度きりのことであった。

田辺聖子の「姥勝手」を読了。文章は軽快で読んでいて楽しかった。
けれども80歳の主人公にどうしても感情移入が出来ない。
溌剌とした大阪の婆さんは作者自身だと解説に書いてあったけれど
その裕福ぶりが少し鼻につく。それは私のひがみかもしれない。
正直言ってこんな年寄りには決してなれないと思った。
豊富な趣味を持ち社交的で何よりも派手である。
老後の不安ばかりの私にどうしてそんな暮らしが待っていようか。
僅かの年金を頼りに生きていくだけで精一杯なのだと思う。
経済的なゆとりが無ければ趣味も諦めざる得ないだろう。
何をするにも「お金」が必要。それが世間の掟でもある。
あの「18歳の日の記録」を書いた田辺聖子は何処に行ったのか。
流行作家となり何を書いても売れたことだろう。
けれどもそれは本当に心底から書きたかったことなのだろうか。
好きな作家ではあるけれどなんだか不信感が募って来る。
「姥シリーズ」は何冊か出版されているらしいがもう読む気はしない。
老いは誰しも避けられないこと。それはとても切なくてならない。
高級なアクセサリーを身に着け浮かれている場合ではありません。
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