午前中は本降りの雨。時おり激しく降る。
今は止んでおり夏至の太陽を雲が覆い尽くしている。
「雲の上にはおひさまがいるよ」いつだったか母が言ってくれた。
経営難で行き詰った時ではなかっただろうか。
「そうやね、くよくよしていたらいかんね」と頷いたことを憶えている。
母はそれほど楽天家ではなかったけれどやはり人生の大先輩だけある。
苦労をして来た人だからこそ云える言葉だったのだろう。
嘆いたり欝々ばかりしていても何も変わらない。
人は太陽の慈愛を受ける権利を持って生きているのだと言えよう。
心の翳りにそれは皆に等しく降り注ぐものなのだと思う。

田辺聖子の「18歳の日の記録」を読了。
これは遺品を整理していた親族が見つけた当時の日記なのだそうだ。
まさか死後にそれが一冊の本となり出版されるとは
彼女自身夢にも思っていなかったことだろう。
芥川賞を受賞してからの作品と比べるとまるで別人のようにも感じる。
18歳の多感な少女は戦争の真っ只中で逞しく生きていた。
思ったこと感じたことを純真に素直に書き綴っている。
時には級友の悪口も。けれどもそれも爽快な文章となっている。
ただただ読み応えがあった。これほどの感動があるだろうか。
日記の中には小説も幾つか書かれており「無題」と抄した長編には
戦中の女学生の心境がありのままに書かれており心を打たれた。
当時は発表する場所さえ無かったのだ。いったいどんな気持ちだったのか。
戦後、小説家として世に出てもその「無題」は埋もれたままだった。
すでに過去として葬ってしまったのだろうか。それも惜しくてならない。
ながい歳月を経て遠い過去から届いた「無題」を
私はとても新鮮な気持ちになり読み進むことが出来たのだった。
これはもう感謝しかない。よくぞ書いてくれたと敬意を示したい。
「無題」は彼女自身のせつなさでもあろう。
永遠に葬るつもりだった「こころ」そのものなのだと思う。
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