小雨降る一日。どうやら四国地方も梅雨入りしたようだ。
待ちわびていたわけではないけれどなんとなく落ち着く。
季節の区切りのようなこと。梅雨があってこそ本格的な夏が来る。
雨の季節ならではの楽しみもあるだろう。欝々などしていられない。
どんな空も受けとめられるような大らかな気持ちでいたいものだ。
今朝はふと思い立ち母の服を着てみた。
先日母の衣類を整理していて見つけたもので
少し地味かなと思っていたけれど着てみればけっこう似会う。
母が着ることはもうないのだと思うと少しせつなくもあったけれど
処分するにはやはり気が咎めまるで遺品のようにして仕舞ってあったのだ。
高級志向だった母は「しまむら」などにはまったく縁が無く
殆どをブティックで買い求めていて品が良い物ばかりであった。
私が着た服もおそらく10年は経っているだろう。
色褪せや型崩れもなくとても古着には思えなかった。
「母を着る」それはなんとなく気恥ずかしくてくすぐったいような。
まるで自分が母の分身であるかのような不思議な気持ちになる。
そうしてそれを着ていた頃の母の面影が目に浮かんで来た。
綺麗にお化粧をした母。紅い口紅がよく似合っていた。
会社の専務でもあり仕事もどれほど頑張っていたことだろう。
体調が優れない日も「大丈夫よ」と気丈な母であった。
きっと死ぬまで働き続けるつもりだったのだろう。
そんな母の老後をどれほど案じたことだろうか。
今は施設で一日中病衣姿でいる。それも慣れてしまったらしい。
もちろんお化粧もしない。けれども肌は白く艶々としている。
そんな母を私は「うつくしい」と思うのだった。
私はこれからも母を着たい。決して母にはなれないけれど
母の面影を決して忘れることのないように。
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