曇り日。午前中は少しだけ薄陽が射していた。
暖かいうちにと庭の草引きをする。
庭といっても猫の額ほどでしかもコンクリートであった。
雑草のなんと逞しいこと。それはコンクリートの隙間から
僅かな土を糧にしたかのように力強く伸びている。
そんな雑草に身を寄せるように野スミレの花が咲いていた。
周りの雑草だけを引き抜き野スミレを残す。
数えてみたら10本もありすっかり野スミレの庭になった。
自然のままにさりげなく。とても可憐な姿であった。

春分の日。お彼岸の中日でもあったけれどお墓参りは行かず。
例年ならば義妹が率先して段取りをするのだけれど
彼女も不整脈の発作が起こるようになり弱気になっているようだった。
お墓はお寺の裏山にあり急こう配の山道を上らればならなかった。
私達夫婦もすっかり足腰が弱くなり自信のないのが本音でもある。
これ幸いと思えば亡き義父母に申し訳がないけれど
今年は許して頂こうと意見が一致したのだった。
その代わりではないけれどお大師堂にお参りに行く。
お菓子をお供えして拙い般若心経を唱える。
それがせめてもの供養にも思えた。
昼食後からしばらく本を読んでいたけれど
甲子園で高知高校の初戦があったのでじいちゃんと観戦する。
9回裏に逆転されるのではないかとはらはらしていたけれど
無事に初戦突破できて何よりだった。胸に熱いものが込み上げて来る。
私はプロ野球には全く興味が無いけれど高校野球は昔から好きだった。
あれは高一の時だったから昭和46年の夏だったろうか。
高知商業高校の益永投手の大ファンになり「おっかけ」をした。
高知市営球場での予選も観に行き写真を撮ったこともある。
その時の写真は今でも手元にあり大切に保存している。
それは試合中の写真ではなくて待機中の写真なのだけれど
益永君はカメラを意識したのかはにかんだような横顔だった。
必ず優勝して甲子園に行くと信じていた通りになって
その夏の私の熱狂ぶりは半狂乱だったことは言うまでもない。
勝っても泣き負けても泣いた記憶が今でもはっきりと蘇る。
ずいぶんと歳月が流れたけれどそれは私の青春に他ならず
「甲子園」と聞けば必ず益永君の事を思い出すのだった。
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