朝の寒さもつかの間。日中はすっかり春の陽気となる。
ひとの躰は陽射しを浴びると気の流れが良くなるのだそうだ。
二本足で立っているのだから頭から足の先まで光が通過するのだろう。
空に手を伸ばせば指先からもそれが伝わって来るのである。
深呼吸をするのも良いだろう。春の光はきっと心にも届く。
今日は午後から職場へ。義父も協力してくれて順調に捗る。
同僚一人ではとても手に負えなかったことだろう。
義父が機嫌良く手伝ってくれてほんとうに助かった。
社長なのだから当たり前のことなのかもしれないけれど
兼業の稲作もないがしろには出来ず義父も苦しい立場であった。
34年前、私が入社した頃には5人程の整備士が居た。
村では大規模なダム工事が行われていて好景気の最中だったのだ。
ダムが完成してから少しずつ仕事が減り始めたのは仕方なく
それでも解雇はせずに必死の思いで経営を続けていたのだろう。
仕事もないのにお給料を払うのはどんなにか大変だった事と思う。
一人辞め二人辞める。一人は独立して自分の工場を持った。
残った二人はそれは一生懸命に仕事に励んでくれたのだけれど
一番の取引先の建設会社が倒産してしまったのだった。
手形の不渡りはもちろんの事、お人好しの義父は借金の保証人になっていた。
その結果工場は抵当に入り挙句には競売に晒される羽目となる。
義父はなんとしても工場を守りたい一心で大きな借金をした。
それは工場の経営だけではとても払いきれない金額であった。
義父が稲作でそれを補おうとしたのは当然の成り行きだったのだろう。
「趣味だよ」と笑っているけれどその陰には真実が隠されている。
お給料がまともに払えなくなってまた一人辞めた。
それでも最後まで残ってくれたのが今の同僚である。
高校中退で17歳の時に見習いとして入社したのだと聞く。
彼が居てくれなかったらとっくに会社は倒産していたことだろう。
私も無給の時期が長く続いたけれど娘なのだからと割り切っていた。
時々母が「お小遣い」と言って一万円をくれたのが嬉しかった。
難破船のような会社でよく今まで乗り越えて来たものだと感慨深く思う。
「諦めたらお終い」それは社長である義父の信念でもある。
母の事実上の引退を機に今は経営を任されている我が身。
同僚を労う気持ちを大切にお給料を奮発する時もある。
私も日給をしっかりと頂いている日々であった。
あと10年だと義父は言う。義父は88歳。同僚は69歳。私は75歳。
気が遠くなりそうだけれどオールを漕ぎ続けて行こう。
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