まるで春の足音であるかのように小雨降る一日。
しっとりた潤ったこころに記憶の波が押し寄せて来る。
忘れようとしていたわけではないのだけれど
あまりにも遠い記憶が砂のようにこぼれ落ちていたらしい。
N先生との再会は夏ではなく春だったのだ。
高3になる前の春休みだったことをはっきりと思い出した。
なぜなら高3時代の私の側には常に先生の姿があり
私はまるで彼に飼われている小鳥のように過ごしていたからだった。
先生は教職の道を諦め公務員になっていた。
毎週土曜日には必ず私のもとを訪れていて
時には夕食を一緒に食べてから帰ることもあった。
父に手土産だと一升瓶のお酒を持って来たこともあり
父は大層喜び私達の交際はもう公認となっていた。
けれども父の内心はどれほど心配だったことだろう。
きっとはらはらしながら見守っていたことだろうと思う。
土曜日の放課後、友達とフォークソングを楽しんでいたら
同級生の一人が教室に駆け込んで来て「N先生が来ている」と
知らせてくれたことも度々あった。急いで校門へと走り出ると
「いつまで遊んでいるんだ」ととても不機嫌な顔をしていた。
それが束縛でなくてなんだろう。まだまだ青春を謳歌したい年頃だった。
もちろん週末に友達と遊ぶことなど許されるわけもなく
まるで若妻であるかのような日々が続くばかりであった。
今思えばその頃にはもう私の青春は終わっていたのかもしれない。
私は彼の許嫁でもあるらしかった。彼の親兄弟にも会っていたし
私が卒業したら「結婚」とすでに決められていたようにも思う。
反発もあったけれどもはや私は「籠の鳥」に他ならなかった。
すでに決まっていた就職はどうなるのだろう。
初任給が公務員の彼よりも多かったので気に入らない様子だった。
前途は暗くなる一方でまるで押し流されるような日々であった。
そんな矢先に私の身体に異変が起こる。
男と女のことだからそれは当然の成り行きだったのだろう。
彼も彼の両親も世間体を一番に重んじていたのだった。
父は憐れとしか言いようがなかった。どれほどそれを怖れていた事か。
「どうせ結婚するのだから」と彼は言った。
その言葉は愛情の欠片も感じられない理不尽な一言であった。
私は一大決心をするしか道がなかったけれど
どれほどの歳月が流れても今もってその罪を背負い続けている。
なんの供養もしてあげられなかった我が子への懺悔であった。
それは墓場までも背負い続けて行くべきことであり
決して赦されることではないのだと思う。
いや、赦してなど欲しくはない。いつまでも責め続けて欲しいとさえ思う。
無事に高校を卒業したけれどもう彼には会いたくもなかった。
ずっと避け続けながらなんとか就職まで漕ぎつける。
ある日のこと営業所に電話がかかってきて
「話したいことがあるんだけど」と彼の声が聞こえて来た。
「申し訳ありませんがお話しすることは何もございません」と電話を切った。
やっと縁が切れた瞬間のことであった。
彼のその後の消息は知る由もなかったけれど
おそらく誰かと結婚をし子宝にも恵まれあたたかい家庭を築いた事だろう。
今は70歳になっており老後の暮しを謳歌しているかもしれない。
けれども「あの子」のことなどすっかり忘れていることだろう。
それは母である私だけの罪だったのだろうか。
憎しみはない。あるのは懐かしさだけだったけれど
ふと少しでも罪の欠片を背負ってはくれまいかと願ってしまうのだった。
叶わない現実に立ち向かうようにまた春が訪れようとしている。
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