今日も曇り日。肌寒く陽射しのありがたさをつくづく感じる。
地区では野焼きがあり我が家からは炎は見えなかったけれど
白煙が狼煙のように漂い灰色の空に吸いこまれていた。
毎年立春前に行われていて春の訪れが近い事を知らせてくれる。
朝から読書に夢中になり家事も最低限のことだけ。
お大師堂にも足を向けず疎かにすることばかりだった。
初めてお大師堂にお参りに行ったのは2008年のこと。
亡きあんずとの散歩道でもありふと立ち寄ってみたのだった。
その時偶然にお遍路さんに会ってしばし語らったことを憶えている。
その時の事を手帳に記しており岡山市の石原布美子さん69歳とある。
ちょうど母と同い年であり親近感も増したのであろう。
石原さんは「歩ける限り歩きたい」と言っていたのだった。
少し心細そうではあったけれどなんと勇気のある人だろうと思った。
当時の私は弱音ばかり。体調も優れず死ぬことばかり考えていた。
「死」は恐怖そのものであり不安でならなかったのだろう。
いつも「明日死ぬかも」そんなことばかり考えていた。
石原さんはそんな私に希望を与えてくれたのだと思う。
翌日から私は毎夕お大師堂に足を向けたのは言うまでもない。
石原さんとの出会いが私の「一期一会」になったのだった。
その後石原さんに会うことは叶わず14年の歳月が流れた。
ご健在に過ごされているだろうかと気遣う気持ちが大きい。
14年の間に出会ったお遍路さんは数多く
すべて手帳に記してある。それは私の宝物でもあった。
職業遍路さんが多く何度も再会を果たせた例もあるけれど
今生に一度きりの出会いもありそれも思い出となっていく。
ここ最近はお参りを疎かにしており心苦しさも確かにある。
今日なども本を閉じてしまえば行けたはずと悔やまれてならない。
これではまるで自ずから縁を避けているとしか思えないのだ、
人は出会うべきして出会うものだと思っているけれど
私はいったい何から遠ざかっているのだろうと思う時がよくある。
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