ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年11月06日(土) 家業を守る

曇り日。薄陽が射すこともなく肌寒い一日だった。


漁協からやっと連絡があり少しだけ種付けが出来たとのこと。

朝のうちに漁場に種網を張りに行っていた。

今後海苔の胞子が出る可能性は極めて低く

15日までに出なければもう中止にするのだそうだ。

仕方ない事だけれどやはり戸惑う気持ちが大きい。


昔は「地種」と言って網さえ張っておけば天然の胞子が付いた。

愛媛の岩松町の種が良質で長いことお世話になっていたけれど

それも自然相手の事で今は絶滅と聞いている。

四万十川もそうだけれど水質の変化が原因だろうと思う。




姑さんから青さ海苔漁を一切任されたのはいつ頃だったろうか。

子供達はもう小学生になっていたように記憶している。

家計の苦しさに耐え兼ね夫は再就職をしていた。

私も近くの縫製工場に勤めるようになっていたのだった。

それでは青さ海苔の収穫など手の回らないのが当然のこと。

私はほんの一年半ほどで退職しなければならなかった。


姑さんの手など絶対に借りるものかと意地になっていたようにも思う。

日曜日には夫が助けてくれたけれど平日は一人で頑張る。

もちろん川船には乗れないから軽トラックで漁場に行っていた。

河川敷から大きな盥を引っ張ってせっせと収穫をする。

盥がいっぱいになったら沈めないように気をつけながら

また河川敷まで行き籠に移すのだった。

その籠を軽トラックに積み込むのが最も辛い仕事だった。

けれども若さのせいもあったのだろうそれを難なくやり遂げる。


作業場まで戻ったら海苔の洗浄。洗い機はミキサーのような機械で

当時長い髪だった私はうっかりそのミキサーに髪を巻き込んだのだ。

思わず悲鳴をあげるほどの痛み。やっとの思いで洗い機の電源を切った。

その日の事はそれ以上の記憶がないのだけれど

天日干しまでの作業を最後までやり遂げていたようだった。



記憶が前後し曖昧なところもあるのだけれど

姑さんと二人で青さ海苔漁に行ったことも確かにあった。

雪が降っていたのでよく憶えている。

あまりの雪に姑さんが「もうやめて帰ろうよ」と言ったのだった。

その時私は「まだまだやるよ」と強気な発言をした。

その時一瞬だけれど姑さんに勝ったような優越感を感じたのだった。


どんなに頑張っても家計は楽にならなかった。

今こそブランド品だけれど当時はまだブランド化されておらず

驚くような安値で取引されていたのだった。

それでも無いよりはまし。身を粉にして働くしかないと思っていた。


家業を捨てる訳にはいかない。その思いだけは今も残っている。








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