ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年11月05日(金) 焚火

連日穏やかな秋晴れの日が続いている。

立冬も目前となり身構えるような気持ちになるけれど

冬ならではの楽しみもきっとあることだろう。

くよくよと不安がらずに立ち向かって行きたいものだ。



今は焚火をすることもなくなったけれど

昔は落ち葉焚きなどよくしたものだった。

それは子供の頃の話でずいぶんと遠い日のこと。


おとなになり嫁いでからは河川敷でよく焚火をした。

冬の青海苔漁で冷たくかじかんだ手や足をその火で温めたものだ。

アルミホイルで包んださつま芋を入れておくとほくほくの焼き芋に。

幼い子供達はそれが好きでとても楽しみにしていた。


寒いからと家で遊ばす訳にはいかない。

まさに「家族総出」で小雪の舞う日も河川敷で遊んでいたのだった。

今思えば親の苦労を子供心に感じていたのであろう。

「おうちへかえりたい」とは一言も言わなかったのだ。


昭和57年の10月にお舅さんが癌で亡くなり

夫は30歳で勤めていた会社を辞め家業を継ぐことになった。

正確には亡くなる数ヵ月前にすでに辞めており

お舅さんが「おらにも跡取りが出来たけん死ぬかもしれんな」と

その時は笑い話でほんの冗談だったのだけれど

まさかその数ヶ月後に本当に亡くなるなどと誰が思ったことだろう。


跡取りとしての修業なども十分ではなかったはずだけれど

夫は見よう見真似でもほんとうによく頑張ったと思う。

冬の青海苔漁も母親と一緒に川船に乗り大漁の日も多かった。


青海苔は船に取り付けた大きな籠で川の水で洗うのだけれど

姑の手捌きは熟練しておりそれは見事だった。

ゆっさゆっさと緑の青海苔がまるで人の髪のように水面に揺れる。

それを夫が河川敷まで運び込み私は綱に掛けて干すのが仕事だった。

3歳の息子は走り回っていたけれど娘は背中におんぶしており

まだ布おむつの頃で尿漏れがすれば背中はしっとりと濡れる。

とにかく大急ぎで干さねばならなくておむつを替える時間もなかった。

焚火で娘のお尻を温めたこともある。おむつかぶれで真っ赤になっていた。


私もまだ若い母親だったので何の因果でこんなことをと

ついつい嘆きそうになる時もあったけれど

それはすべて「食べていくため」の試練だったのだと今は思う。


毎月決まった収入が途絶えたからには身を粉にして働くしかない。

しかし青海苔漁の収入は姑さんと折半で半分しか手に入らなかった。


そのおかげで貧乏に慣れたのだからありがたいことだったのだろう。


思い出すのはあの暖かな焚火。河川敷にはいくらでも燃やせる

流木や木屑がそれはたくさんあったのだ。

息子も拾って来た。「おかあさんぬくいね」その声が懐かしい。


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