ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年10月15日(金) 追憶のなかの母その10(逃避)

私は自分の事を「おとな」だと思っていたけれど

もしかしたらまだ「こども」だったのかもしれない。


20歳の誕生日には夫が袋いっぱいの手羽先の唐揚げを買って来てくれた。

屋台で売っている物で揚げたての熱々は私の大好物であった。

「みかちゃん、これ好きやもんね」と笑顔で手渡してくれて

一気に10本くらい食べた記憶がある。とても美味しかった。

優しい人だったのだと思う。なんの落ち度もなかったはずなのだ。


夫は勤めていた会社を辞めわずかながらも退職金を手に入れ

すぐに新しい仕事を見つけ働き始めたばかりの頃だった。

借金取りはどうやらそのことを嗅ぎつけていたらしい。

ある夜突然やって来てその大切な退職金を奪い去って行ったのだった。


これにはさすがの夫も怒り私の父を散々に罵った。

父を庇いきれない。気がつけば私までもが父を恨み始めていた。

またどん底の暮しが始まる。その日の食費にも困る日々だった。


そのことがきっかけになってしまったのだろう。

夫は荒れる日が多くなり時には暴力も振るうようになる。

「こんなものが食べられるか!」と食事を投げつけることもあった。


すっかり追い詰められてしまった私は夫の親友に相談した。

すぐ近所に住んでいたのでほぼ毎晩のように様子を見に来てくれたのだ。

「大丈夫だから心配するな」その一言にどれほど救われたことだろう。


ある夜、もうかなり遅い時間だったと記憶している。

夫が包丁を振り回すほどの修羅場が訪れてしまい

私はとにかく逃げようと寝間着姿のまま路地を駆け抜けていた。

何処に行こう。何処にも行くあてなどない。

気がつけば夫の親友の家まで来ていたのだった。

彼はすぐに私をかくまってくれた。とにかく押入れの中へと。

ぶるぶる震えていたら夫が来て親友と言い争う声が聞こえる。


もう限界だと思った。けれどもその夜の事はよく憶えていない。

ただ一つだけ憶えているのは親友が言ってくれた言葉だった。

「逃げられるのなら逃げきろ」確かそう言ってくれたのだ。


その時に私は決心する。母の処に行くしかないのだと思った。

翌朝には汽車に乗っていた。夫の親友が駅まで送ってくれる。

そのうえに汽車賃まで出してくれたのだった。

今思えばそれがどれほどの恩義だったことだろう。

夫と彼はもう親友ではいられなくなってしまったかもしれない。

私は大変な罪を犯したのだと思う。果たして逃げて済むことだったのか。



母はまるで修学旅行から帰った娘を迎えるかのように

にこにこしながら出迎えてくれた。

いったい何があったのかも訊きもせず終始笑顔であった。


父から二人の「こども」を取り返したつもりだったのかもしれない。

それでこそ母は救われたのだろうと思う。


母にとって私はまだ「こども」以外の何者でもなかったことだろう。

13歳の私を知らずその後の7年間も知る由もなかった。


私は罪の意識に苛まれていた。いったい何を犠牲にしたのか。

確かに傷ついていたけれど同時にたくさんの人を傷つけていたのだ。


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