| 2021年10月14日(木) |
追憶のなかの母その9(絆) |
19歳の春私は職場の同僚と結婚する。
猛反対だった父を説得してくれたのは弟だった。
「お姉ちゃんの好きなようにさせてやりなよ」と言ってくれたのだ。
しかし甘いはずの新婚生活はつかの間の事で
ひと月もしないうちに父が大変な事になってしまった。
当時父は再度の転勤で遠く香川県に住んでいたのだけれど
詐欺に遭いそれが汚職に繋がり懲戒免職になってしまったのだった。
当然のごとく官舎を追われしばらく行方不明になってしまう。
弟は父の職場の寮から高校に通っていたのだけれど
早急に出て行って欲しいと言われもはや住む家もないありさま。
今思えば私と夫が弟を引き取ってあげるべきだった。
けれども19歳と23歳の若い夫婦にそんな余裕はなく
最後の頼みで母に頼ることにしたのだった。
弟もそのほうが良いと言う。私達夫婦にも気を遣っていたのだろう。
母はM兄ちゃんと一緒に喜び勇んで駆けつけて来てくれた。
頼られたことがよほど嬉しかったのに違いない。
高校の近くにアパートを見つけ家具まで買い揃えてくれる。
私はこんなカタチで母とまた繋がるのがなんとなく嫌だった。
もう二度と会うまいと心に決めていただけに複雑な思いが募る。
けれども路頭に迷った弟を救うにはこうするしかなかったのだと思う。
父の消息はすぐに分かったけれど母の事を話すと
「そうか・・」と肩を落としていた。きっと悔しかったのだろう。
娘を嫁がせ息子を一人前にするまではと気負っていたのだと思う。
けれどもどうしようもなく落ちぶれてしまった事を自覚していた。
父が憐れでならなかった。母にだけは負けたくなかったのだと思う。
この世には「仕方ない」の一言で済まされることが多い。
どんなにあがいてもそれは仕方ない事なのだ。
ひとは何かに縋らなければ生きてなどいけないのだろう。
もう母ではないと思っていた人がまた母になることもある。
それは微かな絆だろうか。血の繋がりは切っても切れないのだ。
弟は独り暮らしを満喫しながら元気に高校に通っていた。
私達若夫婦の所には身に覚えのない借金取りが訪れるようになった。
まだ未成年だった私が父の保証人になっていたらしい。
だからと言って父を恨むこともせず精一杯の日々の暮らしだった。
きっと乗り越えられるとどれほど信じていたことだろう。
追い詰められる最後の最後まで私は希望を捨てずにいた。
もうすぐ私の20歳の誕生日なのだ。
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