| 2021年10月10日(日) |
追憶のなかの母その5(罪) |
母は置手紙も残さずに消えた。
そうしてそのまま行方不明となってしまった。
もし離婚届でも置いて行けば父も覚悟を決めたろうにと今になって思う。
だから私は「家出」とは書かず「失踪」と書いた。
その日のうちに父はすぐ駆けつけて来たけれど
いったいどう対処したのか私の記憶は欠落している。
その日だけに限らず明くる日の事も全く思い出せないのだった。
学校には行ったのだろうか。食事はどうしていたのだろう。
まるでその後の記憶が破られ燃やされてしまったように感じる。
ただすぐに海辺の町に帰ることはなかった。
ひとつだけよく憶えているのは大晦日の日暮れ時のことで
父が「正月くらいはしようや」と言ってくれたことだった。
父の車で高知市の台所「大橋通り」に買物に行った。
お寿司とお餅を買ったことをよく憶えている。
その時に塾帰りの友達に会ったのだ。
自分がとても惨めに思えて逃げるようにその場を去った。
父には父の考えがあり転校の手続きをしてくれていたのだと思う。
冬休みが終わればまた海辺の町の学校へ通えるようだった。
また慌ただしい引っ越しとなり級友達に別れを告げる暇もなかった。
母の消息はまったく掴めず途方に暮れていたけれど
「死んだと思え」と父はすっかり諦めた口調でそう告げていた。
私はどうして私の誕生日でなければいけなかったのだろうと思う。
それは未だに納得のいかない大きな疑問であった。
今さら母を問い詰めることがどうしてできようか。
母にとって娘の誕生日よりも大切なことだったのだろうか。
その日でなければいけない理由があったのだとしても
私は赦せなかった。それが未だに尾を引いている。
その日の事をすっかり忘れている母に私は仕打ちをしている。
いくらでも孤独になれば良いのだと突き放すように。
いったい罪とはなんだろう。
その後母には母の人生があり私には私の人生が待ち受けていた。
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