| 2021年10月08日(金) |
追憶のなかの母その3(海鳴り) |
山村での暮らしも3年が経ち私は村の中学校へ通うようになった。
まだまだ子供だったけれど少しだけおとなになったような気がする。
確か5月の中旬頃だったと記憶している。
父からいきなり転勤の話を聞いたのだった。
月末には引っ越しだぞと言われてどれほど戸惑ったことだろう。
そこは村からはとてつもなく遠い県東部の海辺の町だと言う。
後から知ったことだけれど父は転勤願を出していたのだそうだ。
おそらく一日も早く村から遠ざかりたかったのだろう。
3月ならともかく5月の転勤は異例のことだったと思う。
まるで逃げるような引っ越しだったけれど
大勢の人に見送られて別れを惜しんだことだった。
母はいったいどんな気持ちだったのだろう。
もしかしたら悔しくてたまらなかったのかもしれない。
かと言って父の決めた事には逆らえなかったのだ。
7時間ほどの遠路だった。潮の香がする穏やかな町に着く。
今度の家も一軒家でとても庭の広い家だった。
けれどもその庭はかつて官舎のあった跡地だったらしく
コンクリートの基礎だけが残った殺風景な庭だった。
父の事務所は山奥にあるらしく単身赴任になるとのこと。
そんな悪条件を呑んでこそ叶った転勤だったのだろう。
しかし母にとってはそれが救いだったのかもしれない。
なんだか生き生きとして見えたのは気のせいだったろうか。
私と弟の転校手続きが終りそれぞれが新しい学校に通い始めた。
そんなある日母はまた次の仕事を見つけて来る。
それがなんとすぐ近所の魚屋さんだったのでびっくりした。
おそらく父には相談もせずに決めたのだろうと思う。
思い立ったらすぐ行動に移すのが母の長所でもあり短所でもあった。
化粧品の匂いなど何処へやら。母はすぐに魚臭いひとになった。
驚いたのは短期間で調理師免許まで取得していたのだった。
週末には父が帰って来たけれど言い争うこともなかった。
父はあくまでも寛大な人だったのだと思う。
けれどもそれは私が気づかなかっただけなのかもしれない。
新しい学校生活に慣れようと私も必死だったのだ。
嵐が近づいてくると海が荒れ海鳴りが轟く。
それは轟々と怖ろしく私のこころを不安にさせるのだった。
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