ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年10月06日(水) 追憶のなかの母

もう幾日真夏日が続いたのだろう。

連日10月とは思えない暑さが続いている。

けれども草花はちゃんと季節を知っていて

秋桜などはまるで秋を演じるように咲き誇っている。




仕事を終えて帰宅すると「純ちゃんの応援歌」を見るのが日課になった。

ずいぶんと昔34年程前のNHKの朝ドラ再放送である。

ヒロインの山口智子のなんと初々しいこと。

鶴瓶さんなどまだ青年の面影を残しながら脇役を演じている。


ヒロイン純子の母親が小学校の用務員をしているのを見て

ふと昔の母のことを思い出した。実は母も用務員だったのだ。

記憶は定かではないが確か私が一年生から三年生の間だったと思う。

もしかしたら保育園の頃から勤めていたのかもしれないけれど

幼い頃の記憶はあいまいでよく憶えていないのだった。


学校へ行けば母が居る。子供心に気恥ずかしかったような気がする。

母は自転車で通勤しており私が登校するともう仕事をしていて

掃除をしたり先生方にお茶を淹れたりしていたのだろうか。

母が仕事をしているのをはっきりと見たのは炊事室での姿だった。

当時はまだ給食はなかったけれどお昼には必ずミルクが出て

それは牛乳ではなく脱脂粉乳という粉ミルクのようなものだった。

白い三角巾を被った母が大きな鉄鍋でミルクを煮ているのを見た。

脱脂粉乳はちょっと癖のある味で決して美味しくはなかったけれど

残せば先生に叱られ何よりも母に申し訳なく思ったことだった。


昼食時、アルマイトのお弁当箱の蓋が開かず困る事が度々あり

お弁当箱を抱えて職員室へ行くこともよくあった。

「おかあさん」と呼んだのろうか。それもよく憶えていない。

担任の先生も居ただろうに蓋を開けてくれるのはいつも母だった。


授業が終わってからもすぐには帰らず校庭で遊ぶことが多かった。

毎日は無理だったけれど母と一緒に帰りたかったのだと思う。

母は自転車を押しながらゆっくりの歩調で私につきあってくれた。


楽しみだったのは夕食の買物をする時だった。

いつも寄る魚屋さんには揚げ物も売っていて私はコロッケが大好きだった。

食べたいと言えば叱りもせずに母はいつも買ってくれたのだ。

そのコロッケを食べながら帰る。私にとっては至福の帰り道だった。


四年生になる前の春休みに父の転勤が決まり引っ越すことになる。

母も当然のように用務員を辞めなくてはいけなくなった。

三年生の時の集合写真には母の姿がちいさく映っている。


新しい土地での暮らしに家族の誰もが胸をふくらませていたことだろう。

いずれ訪れるであろう悲劇など考えることもなかったと思う。

今思えば母にとっては人生の大きな転機だったのだろう。


母はまだ27歳の若さであった。








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