曇りのちつかの間の晴れ。日中の気温は30℃ほど。
夕方になると一気に風が涼しく感じられた。
もう栗の季節なのか。今朝はふっと亡き祖父を思い出す。
母の生まれ故郷の栗山はどうなってしまったのだろう。
毎年たくさんの栗を送ってくれた祖父はもういない。
明日が命日だった。もう22年の歳月が流れてしまったようだ。
また新しい一週間が始まる。そんな月曜日が好きでならない。
わくわくとするわけでもないけれどすくっと前を向ける気がする。
特に変わり映えのしない日常の事を愛しくも思えるのだった。
今朝は山里の道でお遍路さんのMさんと再会する。
40日ぶりだろうか。Mさんはその間ずっと歩き続けていたのだ。
遠くからでもその後ろ姿ですぐに分かる。車を停めて声をかけた。
「乗って行くかね?」「うん、乗せてもらおうかな」と笑顔だった。
職場の近くの分岐路までほんの5分ほどだっけれど会話が弾む。
今日は重い話は一切せず世間話ばかりしていた。
辛い事があればきっと話してくれるに違いないと信じている。
百巡目をとっくに過ぎてMさんも気楽になったのだろう。
なんだかお遍路を心から楽しんでいるように感じた。
Mさんは決して嘆くことをしないのだ。
嘆いても何も変わらない事をすでに知り尽くしているのだろう。
毎日SNSを見ているけれど嘆いている人のなんと多いこと。
愚痴も多い。それは一歩間違えば悪口にも聞こえる。
何処の何方なのかもわからない。鍵付きのアカウントばかり。
酷い人は一日中愚痴を吐きまくっている。
それで心が晴れるのだろうか。すっきりとするのだろうか。
私ははっきり言って「馬鹿じゃないか」と思うのだった。
「今日は心療内科に行きます。頑張って来ます」とかアホか!
自分の心ぐらい自分で直せよと言いたい。
いつまでも薬に頼っていてばかりでは強くなどなれはしない。
それではいつまでたっても自分の心と向き合えないと思う。
以上、かつて鬱病だった私の意見です。
Mさんは宿には泊まれない。
今夜もテントを張って何処かで野宿をしている。
お風呂にも入れません。
夜が明けたらまた歩き始めます。永遠に歩くしか道がないのです。
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