| 2021年06月28日(月) |
ひとはどうして夢をみるのだろう |
雨のち曇り。明日はやっとおひさまに会えそうだ。
職場の庭のやまももがすっかり実を落とし
その傍らには合歓木(ねむの木)の花が散り雨に濡れていた。
雨に流されることもなくそれは地面にしがみついていて
まるで蝶の亡骸のように見えて憐れであった。
ひらひらと風に乗り何処へともなく飛んで行きたかったろうに。
実は落ちる。花は散る。それも自然の掟のようなこと。

昨夜ここに「白昼夢」と書いてしまったけれど
その言葉の意味をはき違えていたことに気づく。
薄学な者は時にそのような間違いを起こすものである。
なんとなく気になっていたのでググってみたら
「日中、目覚めている状態で、現実で起きているかのような
空想や想像を夢のように映像として見る非現実的な体験
または、そのような非現実的な幻想にふけっている状態を表す言葉。
願望を空想する例が多い」と書いてあった。
だから白昼夢ではなかったのだ。ただの悪夢であったらしい。
それにしてもどうしてあんな夢を見たのか理解に苦しむ。
子供の頃からよく悪夢にうなされることがあったけれど
今でも忘れられずにいるとても怖ろしい夢を見たことがあった。
真夜中に大きな足音が聴こえ玄関から黒装束のお坊さんが入って来る。
そうして寝ている私の枕元に座ってお経を唱え始めるのだ。
顔に米粒をぱらぱらと撒かれ私は金縛りになっていた。
柱時計は午前二時。隣に寝ている弟の横顔もちゃんと見える。
「助けて」と父や母を呼ぼうとしても声が出ないのだった。
子供心にこれは夢ではないと思ったことをよく憶えている。
お坊さんはそれから毎晩やって来て恐怖は一週間も続いた。
最後の夜にお坊さんの頭がぽとんと千切れたのだった。
その頭をボールのようにして蹴って遊んでいる私がいた。
そんな不気味な遊びが私を救ってくれたのかもしれない。
それ以来そのお坊さんに会ったことがない。
子供の頃から神経質な性格であり臆病者でもあった。
霊感の強いのは母に似ていてよく不思議な事にも遭遇する。
それももって生まれた宿命のようなことなのだろう。
もういいだろう。夢の話はもうお終いにしようではないか。
今夜もきっとぐっすりと眠れることだろう。
|