霞がかった空は黄砂だったのだろうか。
それは強い陽射しを和らげてくれたけれどほぼ真夏日の暑さとなる。
そうなればもう半袖の出番。腕の染みも年々気にならなくなった。
早朝より川仕事。大量の洗濯物を干し終えるなりすぐに出掛ける。
時間の余裕がなかったせいか少し苛立っている自分を感じた。
玄関先の燕に「もういいかんげんにして」と怒鳴ってみたり。
二番子だろうか巣作りを始めていてポーチは土だらけになっていた。
川仕事は暑さとの闘い。8時にはもう汗びっしょりになる。
9時前には限界となり「帰ろうか」と意気投合していた。
撤収作業はまだ序の口で先が思いやられるけれど
今月中にはなんとか終えたいと思っている。
平日は私が手伝えないのでじいちゃんに苦労をかけてしまうけれど
仕方ないと諦めているようでそれが救いにもなっていた。
世間では「母の日」らしかったけれど我が家は普通の日曜日。
特別なことは何も考えていなかったし普通がいちばんに思う。
姑さんが生きていた頃は何か贈り物をしなければならなくて
それが少なからず心にも家計にも負担になっていた。
感謝の気持ちを伝えるためにどうして「モノ」が必要なのだろう。
詰め合わせの和菓子を届けたら玄関に立派な胡蝶蘭があった。
そんな昔の辛かったことを今でも忘れられずにいる。
「感謝をすることもなければ感謝されることもないだろう」と
それで良いのではないかと思ったのだ。いつもと変わらない気持ち。
特別でなくても良い。いつもの日常がどれほどありがたいことだろうか。
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