春らしい晴天。何処からか鶯の歌声も聴こえて来る。
「ほうほうそうかそうか」とつい応えたくなる。
山里はとてものどか。陽だまりで畑仕事をしている人や
もう水の張られた田んぼは田植えが近いことをおしえてくれる。
10歳の時に父の転勤で引っ越して来た村だった。
それから3年余り暮らした村はやはり私にとって「故郷」なのだろう。
中学生になってわずか2ヵ月でまた父が転勤になり遠い町へ引っ越す。
同じ県内でも言葉が全く違っていてとても戸惑ったことだった。
幼い頃から慣れ親しんだ「幡多弁」はもう通用せず
「土佐弁」はなんだか皆が怒っているように聴こえたのだった。
不思議に思ったのは父も母もずっと土佐弁だったこと。
それなのに私と弟は幡多弁で育ったらしいのだ。
両親の影響を受けずに言葉を覚えたのかと信じ難いことでもある。
二ヵ国語という例えは可笑しいけれど今は臨機応変に使い分けている。
普段はもちろん幡多弁だけれど話す相手が土佐弁だとそれに合わす。
無理にそうしているのではなく自然と出て来るのだった。
母と電話で話す時も土佐弁になり自分でも愉快でならない。
例えば「無理しなよ」と母が言えば「心配せんでもえいき」と言う。
これが幡多弁だと「心配せんでもええけん」となるのである。
どちらも故郷の言葉なのだと今は思っている。
この村あの町と転々としたけれどいつまでも懐かしい故郷がある。
実家はないけれどもう帰る必要もないだろう。
今は四万十川のほとりの我が家が終の棲家になった。
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