2020年06月04日(木) |
ながいながいトンネルの出口に |
薄曇りの空。時おりかすかに陽射しがあり梅雨らしい蒸し暑さとなる。
そんな時は風を待つ。なんだか恋しい人に会いたがっているかのように。
職場の庭に母が毎年愛でていたアマリリスの花がやっと咲く。
周りの草を引く人もいなくて荒れ果てた庭にそれは精一杯微笑む。
向かい合い語り合うようにして写真を撮った午後のこと。
職場は5月決算でぼちぼちだけれど帳簿の整理に取り掛かる。
法人登記をしてから26回目の決算。ずいぶんと歳月が流れたものだ。
その当時の事をよく憶えていて母もまだ若くばりばりの現役だった。
「おかあさん」とは呼ばず「専務」と呼んでいたのも懐かしい。
私は経理を任され一から母に教わった。貸方も借方もよくわからず
戸惑うばかりの私に母は時に厳しくそうして優しい日も確かにあった。
けれども甘えた記憶はない。母は常に上司であり専務と言う名の人。
そうして数年が経ちやっと一人前になった私と母はよく喧嘩をした。
特にパソコンが導入されてからはぶつかることが多くなる。
母は手書きの元帳を求め続けパソコンに向かう私を嫌っていた。
「そんなもんあてにならない」とよく言われたことを憶えている。
今思えばきっと悔しくてたまらなかったのだろうと思う。
やがて見積書も請求書も手書きではなくなる時が来てしまって
とうとう母のする仕事が何もなくなってしまったのだった。
母は決心したかのようにパソコン教室に通い始める。
けれどもそれを発揮できない。私がいるせいだと母は言うのだった。
泣きながら帰った日も多い。専務が母ならどんなに救われたことだろう。
私はわたしを責め続けていた。なんと親不孝な娘なのだろうと。
葛藤に葛藤を重ねながら会社を辞めようとさえ思ったこともある。
それからながいながいトンネルの出口にやっと母の姿を見つける。
昔の面影をかすかに残しやせ細った母はとても小さく見えたけれど
子供の頃の記憶のままに優しい母の笑顔がそこにあった。
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