そして私の心には、開花の報せと相前後して猛烈な春の嵐が訪れました。 え、ちょっと何、滝川の脱走時の年齢が18歳って、ええええ…!? Σ( ̄ロ ̄;;)←入潮さん調査結果。 お…大川と同年代だとばっかり思って た ・・ ・ 。..orz じゃあもうあれだ、年下で後から陸軍入りしたのに態度でかくて、でも口ほどの事はやってのけるし実家(バック)は強いしで周囲を黙らすお坊ちゃんと、陸軍発足時からの正真正銘叩き上げ、燻し銀の実力派の先輩が、年齢も立場も全く違うのに妙に意気投合しちゃってイエイ!って方向で行こう。そうしよう。お坊ちゃんな滝川は強気で傲慢に見えてどこか甘っちょろくて素直なんだよ、たぶん。で、クールを装って実は人情家な一面のある大川が放っとけなくて嫌々世話焼くうちに、親しくなっていくんだよ。うん、きっとそうだ。ほら、高校出たばっかりの生意気な新人とチームの大黒柱な超ベテランが実は仲良しとかそういうの、あるじゃないか。な! (な!って言われても…) (先生先生、何か痛々しいほど可哀想な人がいますよーっ!) …………現実的に考えれば、鳥羽伏見で一緒に戦ったあたりで大川が「へえ、こいつやるじゃん…」みたいなのが最も有り得そうな展開なんだけどね…。
ところで明日は、亡き祖父の誕生日です。私とちょうど1ヶ月違い。思えば私の人格形成は総て、彼を背骨としてかたちづくられたのでした。 話題転換がちょっと無理やりすぎるんじゃないかとか、そんなことは気にしないでください。
●藤岡屋日記 1月20日に近藤さんと土方が会津屋敷を訪れて、2千両借金してた。借金っていうか、「戦争用に軍備増強しなきゃなんだけど資金足りないから出して」っていうかんじ。 担当してくれたのは石沢民衛という人。近藤さんたちの申し出は「至極尤もに相聞こえ、それがため勇気をくじくようなことがあってはならない、寸刻の猶予もならない」として、「すぐさま2千両を融通した、京都時代と事情は違うけれども緊急事態ということで対応したので、京都時代と同様の形式で、公用金扱いということで処理して欲しい」という要請の手紙でした。 現代風に言えば、領収証の処理依頼みたいなもんか。本来なら費目が立たないんだけど、事情が事情だし何とか取り繕って経費で落としてよ、みたいな。(実も蓋もない)
にしても十五代様…市井の人気、本当に無かったんですね…>慶應4年当時 色々な物語に仮託して、駄目将軍呼ばわりされてます。 あと、薩長もこてんぱん。 とくに笑った落首を2つ。
御直参、皆(みんな)暇(いとま)で乞食さん つるでのさばり実になる気でも、すへ(末)にゃ丸あげ(揚げ)薩摩芋
●更新 >大鳥文庫: 「鳥飯」に『藤岡屋日記』で見つけた歩兵隊ネタ2つ 有名な2月の脱走の話ではなく、それ以前と以降の話。ネタ自体はたぶんそんなに面白いものでもないと思うのだが、それに伝習隊やら圭介やらを(脳内で)(勝手に)絡めてみたら楽しかった。というネタです。(何のことやら)
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