みみずのたはごと

2007年02月11日(日)  紀元節

…うちのばーさまは未だに「建国記念日」と言えません(笑)
私はむしろ、「大日本帝国憲法公布記念日」と記憶しています。おかげで、憲法記念日とよくごっちゃになります。
学校で習っていた頃は帝国憲法なんてどうでもよかったんだけど、制定までの紆余曲折を知った今では妙に愛しく思える。あの人もあの人もあの人も憲法制定・議会開設に必死になったんだと知った今は、どんな形であれ法治国家としての日本がスタートしたことは素晴らしいことだと思う。
明治は、陽も陰も正も負も功も罪も総てひっくるめて、やっぱり日本の歴史にとって偉大な時代だったと思います。
ただ、そこでただの『明治礼賛』で終わってしまったら、いつかまた同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。明治の素晴らしい点を見ると同時に、どこで何を失敗したのかもきちんと把握して反省しなければ、明治という時代を今になって振り返ることの意味はない。
最近の「明治ブーム」に触れるにつけ、そんなことを思ったりしてます。

…などと偉そうなことを言っているこの人は、大隈の『憲法意見』の内容すら実はよく知らない、いい加減な明治ファンです。いいんだ、どうせ人物萌えだから。(開き直るな)

ところでそんなわけで、実は今週は3連休だったんですね。知りませんでした。葛生さんは明日は普通に出勤です。インターナショナルな業務環境が災いして、職場にあるカレンダーは国際規格=すなわち日本の祝日が掲載されてません。素で今日に至るまで明日が休日であることに気づきませんでした。謀られた――ッ!Σ( ̄ロ ̄lll)

●更新
>『徒然草子』: 蝦夷小ネタ1つ、テーマは「自己嫌悪」
 圭介=好奇心と知識欲の権化、という認識。太田村の頃は心底楽しんで調練やってたんじゃないかと思ってます。でも、戦争の実態を知った後じゃ葛藤があったんじゃないかなー、だったら萌えるなー。…という産物。(実も蓋もない) 
 時期は、『南柯紀行』に「140〜50人ほど新兵を募集して、歩兵と砲兵に分けて訓練した」とある12月の或る日。まだ初期段階につき行進の練習ってことで、ひとつ(笑) …だって本当は撃ち方練習とかにしたかったけど、「構え!撃て!」て当時の仏語が判らないんだもん――!(><)←「フー!」はさ…流石に使ってたかどうか確信がないからさ…。(※昨年1月25日の日記参照) ……実は会津の人の書き残した記録によれば、「いち、に」は「オン、ツー」だそうなんですが(@『戊辰落日』)、それだと間抜けすぎるんで普通に書きました(^ ^ゞ
 太田村時代。圭介は慶應3年5月6日に「両番格歩兵指図役頭取勤方」から昇格して、歩兵指図役頭取になります。「勤方」というのが何を意味しているのか不明ながら、大筑保太郎(尚志)さんも「勤方」だったそうなので、学者さんで士官待遇を受けてた人とかかしらん、とぼんやりと。5月に正式に軍人さんになった、てかんじかな、なんて思ってます、が…違ったら誰かご指摘ください。(他力本願…)

 …小ネタの癖に解説が本文と匹敵するほど長いってどうなの…orz


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