みみずのたはごと

2006年08月26日(土)  探しものは何ですか

或いは、大川を訪ねて三千里。

昨日は疲れ果てていてまともな文章が書ける気がまったくしなかったので、さっさと寝てしまいました。4時間強睡眠の後、8時間頭脳労働して、その足で図書館に駆け込み、6冊分の人名禄に片っ端から目を通したら、途中で幾度か気が遠くなりました。そんな自分はいい加減軟弱ヤロウですけども、むしろいい加減にその軟弱さを認識して予防措置を取れるようになれよと思います。(とりあえずぶっ倒れるまで突っ走れがマイ合言葉的な)(でも実際はぶっ倒れる前に限界感じて立ち止まるけど)(立ち止まるというか、しゃがみこむ、のが正しいか…)
調べた成果があれば、その後の気分も少しはマシだったのかもしれないんだけどねー。

ええ、空振りでした。三振でした。スカッとな。勢いよくな!...orz

や、ある意味収穫はあったんですけど。「どこにも存在しない」というマイナス要素の収穫なら。
調べた史料は、幕府の官職名簿でして、旗本以外の出身でも職につけば名前が載るうえ、徳川幕府全般を通しての名簿なので、本人の名前がなくても家族・親族やご先祖様が載っている可能性はある、という代物でした。案の定、旗本事典にない苗字が散見されました。
んが。
「大川」は結局、ゼロ。6冊全部、陸軍と全く関係のない部署までぜーんぶ目を通したのに、ゼロ…!
こ、このやろう…。(こぶし握り締めっ)
途中から、「いいよもう<大河原>の変名扱いで」とか、「<小川>でいいことにしようぜ?」とか、脳内独り言連発しながら調べてました。だってそうでもしないと本気で意識飛びそうだったんだもん。
陸軍編の部分は、『陸軍歴史』に納められているリストの完全版、といったかんじでした。『陸軍歴史』で省略されてる歩兵指図役頭取も歩兵指図役も、ちゃんとリストがあります。……ただし、どうみてもこのリストそのものが不完全なんですけど。(人数少なすぎるから)
よって、大川先生(誰)はどうやら行間にでもおわしました模様。

リストにあるぶんの歩兵指図役頭取と、歩兵指図役の「前職」が明記されていたのは、助かりました。そのうち文庫にでも纏めたいと存じます。
でもね、調べてて笑えたのはね、「実は、元々は大鳥より本多のほうが上官だった」、という罠…! 圭介が歩兵指図役頭取になったのは慶応3年5月6日で、本多は慶応2年12月31日付けで、した…。荒井さんのが先に昇進したのは知ってたけど、本多お前もか…!(笑)(でも圭介はさっさと歩兵頭に昇進したけどね)

●メッセージ返信
8/26 21:51 情報提供大感謝のKヶ江様
 あああ有難うございます…!>石と俵について/ 私もKさんの所で見た記憶があったんですが、中身までは憶えてなくって(鳥頭…)。そっか、手取り60%じゃなくて40%ですね。そういや大昔、「4公6民」って言葉習ったよ!(とか言ってるこの人は確か社会科の教免を持ってやしなかったか)(爆)←当時は武士(領主)の給料としてではなく、搾取される農民の年貢としての意識だったから、思い至らなかっただけだと思…いたい。逆から見ると事実が異なって見えるという例として。(足掻き)/ 沼間=新聞部、最高です…! 嬉々として監督イジメしてそう。将来は立憲改進大学に進学して、大森高校から自由大学に進んだ星亨と新聞合戦を繰り広げるに違いない。(コラコラ時代が違う時代が…!)


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葛生冴 [MAIL] [HOMEPAGE]