歴史同人をやっていると、つくづく言葉は生きものだと感じます。思いついたネタをメモっていくと、どうしても自分が日常的に使っている言葉が顔を覗かせるのですが、その多くはたとえば100年前には使われていなかったりすることも多く。 実は、昨夜からずっと「地図」か「絵図面」かで迷ってました。地図って比較的新しい単語な気がしまして。測量・作図など、地図作成の技術そのものは幕末当時の日本には既に確立していました(伊能忠敬の作った日本全図と現在の日本地図とを重ねるとほぼ合致する→参考)が、江戸時代の住宅地図は「〜絵図」といいますし、伊能忠敬の日本全図も正式名称を「大日本沿海與地全図」、通称を「伊能図」「伊能大図」といいますしね。迷った挙句、先刻「絵図面」に直してきました。うーむ矢張り語源辞典かなにかを手元に置くべきか…。 ちなみに、生存本能という言葉もだいぶ新しいんじゃないかと疑ってます。
●更新(26日未明分) >駄文:蝦夷小話に一つ 以下は完全なる裏話ですので、すっ飛ばして下さって一向に結構。 南柯紀行の前半を読むと、大鳥さんには喜怒哀楽の情が激しい印象があります。でも、後半になればなるほど、感情面が削げ落ちて事実の羅列になっていく。南柯紀行は戦後に書かれたものですけれど、偶然か必然か、実際の彼の心情面の変化を映しているような気がします。きっと、戦もどん詰まりの頃は、やたらとヒステリックになる人間がいた一方で、感情の起伏がほぼゼロになっちゃった人も大勢いたでしょう。そして大鳥さんは後者ではなかったかという感じがするのです。たとえ心が多少動いても、表層には何も出ない、みたいな。なので、(注:ここから腐女子の大妄想につき反転。苦手な人は自己防衛プリーズ!) 戦死の報に「…そうか。」と一言、淡白に答える大鳥。表情は硬いが、悲しみや悼みはそこからは窺えない。ほう、と息を吐いて「…仕事が増えるな。」 兵の配置を考え直すため、ばさりと地図を広げる。少し下がった場所からそれを見守る本多だけが、その心が涙を流していることに気づいている。しかし大鳥本人ですら、自分が心で泣いていることに気づかない。(ここまで)そんな妄想に萌え。←どーしよーもねぇ…。
●メッセージお礼 >2/25 09:04 「大鳥夫妻常設希望の方」 リクエストどうも有難うございます!「なんかイイ」という表現は、単純に「好きです」というお言葉同様、モノ書きにとっては非常に嬉しい褒め言葉です。自分の書いたものの中に確実に読者様の琴線に触れるものがあったということですから! 体裁を少し整えて、近日中にお約束どおり常設扱いにしたく存じます。(実は自分でもリクエスト来るの待ってたなんて言えない…←言ってる言ってる) >2/26 02:25 H様 「新作感想」 更新とほぼ間を置かず嬉しい感想を頂戴しまして、真夜中に雄叫びを上げました(心の中で)。私も同年代の日本人同様、戦争というのがどういうものかは実感としては知りませんが、人間の感性というのは脆いものですから、死が日常と化せば、当然の帰結として麻痺してしまうのではないかと。解って下さる方がいらした…!と、感激の極みでした。有難うございます。
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