昨日、やたらアクセスが多いなあとちょっと首を傾げていたのですが、すみません、もしかして圭介お誕生日更新を楽しみにしてくださってましたか…?(気づくの遅すぎ) 実は、考えないでもなかったのですが、もともと誕生日を祝うという観念、日本の土着文化ではありません。男児のみ、満1歳の初誕生日に一年間無事に成長したことを祝い、これからの健やかな成長を祈る行事として、餅をつき、氏神にお参りをして祝宴を催すという風習があっただけです(近世には大人でも一部の公家などが自分の誕生祝を企画したりしていたような記録があるそうですが)。 なんでそんなことを知っているかというと、「誕生パーティとかって明治になって輸入されたっぽい」と思って、それでネタにしようと調べたからです(笑) そしたら、実は欧米式の誕生日の祝い方(パーティしたりプレゼントしたり)が日本に定着したのは戦後らしい、という厳しい現実に直面してしまいました。昭和25年に年齢を満で数える法律ができたそうなんですが、それまでは数え年が当然だったようです。戸籍制度や男女平等の意識が確立され、経済的余裕ができたこととも関係がある、と説明されてました。…そういや、うちの祖父は数えで自分の年齢を言ってたな…。 勿論、例外というのは何処の世界にもあり、進取の精神をもつ圭介の家なら、先んじて誕生祝いをやってても不思議はない、という理屈のつけかたはできます。でも、圭介自身は、そういうことに無頓着そうだ。たぶん、取り入れるとしたら子供たちだろう。んん、子供たちにいきなりおめでとうと言われて面食らう圭介とか可愛いな。…でもそうすると娘たちが興味を持ちそうな年頃って…圭介、日本にいるのか?っつうかそもそも、その頃に娘たちが欧米の文化に詳しいか??…駄目だ、ひなやゆきじゃタイミングが合わない。男の子はあまり興味持たなそうだし、つる(四女)は6歳で死んじゃうし、圭介の享年79から考えて、できるとしたらいな(五女)か鴻(六女)だろう。ひなあたりが吹き込んで、ちいさな妹たちが盛り上がる。うん、これならいける…! ……と、思ったときにはすでに誕生日当日になってましたよ。(爆) つまり、考えすぎ。そして時間切れ。 (脳内で一人静かに妄想を弄んで楽しんでました。ごめんなさい〜!!)
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