| 2004年12月19日(日) |
忘年会という仕事、が。 |
なかなか忙しいです。お酒は好きですが宴会は嫌いなので、微妙なところです。飲める酒も限られてるしなァ(ビール嫌い、カクテル悪酔い、日本酒アウト、だと、普通の呑み屋では本当に飲めるものが少ない)
史跡めぐりの日野の部分に、ふるさと博物館と井上源三郎資料館の感想を追加しました。あと、日野新選組フェスタが終了したため、各館の開館日・時間が変わってしまっているので、わかる部分は変更を入れておきました。 『新選組のふるさと日野』展は、是非、常設展示を市内のどこかでするといいと思います。最も、展示品の殆どが「個人蔵」なので難しいでしょうけど。 今年を迎えたときは、こんなにも幕末一辺倒の生活になり、半年の間に4回も日野に通うことになるとは、予想だにしませんでした。そしてそれもこれも、きっかけは大河だったのですから、関係者の皆様には労いと感謝の言葉を捧げても捧げ尽くせないかんじです。 大河には、実際いろいろと不満もあり、感心させられることもあり、ただ言えることは、様々な意味で「振り回された」一年でした。いい意味で刺激になったし、史実どうこうは脇に寄せて作品としてみたときに、とても素敵な作品だったと思います。ときどき重たかったり、演出過剰だったり、強引だったり、しましたけど(笑)、それでもこの大河がなければ、私は幕末創作には戻ってなかったでしょうし、こうしてサイトを開設することもなかったでしょうから。 創作というのは、一つの窓として存在することにこそ意義がある、ような気がするのですね。それを見て、或いは読んで、少しでもその世界・時代・人物に興味を持って貰えれば。そのあと、興味を持った人が自分で資料や他の作品に触れて、史実や実像や違う描写と出会い、そのなかで自分なりのヴィジョンを構築していってくれるのであれば、史実がどうだとかそんなことは些細な問題なのかなと。 私自身、それを大鳥さんで実際にやらかしましたので、そんなふうに今は思っています。(えーえー最初はどうしようもないヘタレ扱いしてましたよ!今はその恰好よさに心底惚れ抜いてますけどね!←重症・手の施しようがアリマセンお気の毒様状態) あ、あと近藤さんもそうだな。それと、大河がなかったら土方さんにここまで嵌ったかどうか判らないし。←何せ『燃えよ剣』でも土方にコケなかったですからこの人。
●そんなわけで大河感想(↑と矛盾しまくり) うんまぁどうしようかなという最終回でした(笑) 大鳥さんが出なかったことには安堵の息を洩らしつつ(土方さんが足の怪我くらいみたいなことを言ったときはびくびくしましたヨ! 今にも大鳥さんが「阿呆!」と怒鳴って飛び出してきそうで。←お前が阿呆だ)、でも最後の突進てあれ、何処?(爆) 怪我してたよね土方さん。走れるわけないんじゃないのか。 近藤さんの死の意味についても、「今だから書ける脚本」という気が激しくしました。歴史は綺麗事じゃないですから。当時、あんな発言(いろいろと該当)ができるわけがない。それでも、今それを書く(そしてお茶の間で流す)ということに意味がないとは思わないですが。今じゃなきゃ言えないことがあるなら、言っとけ、みたいな。 個人個人のラストを大事に描こうとするあまり、ちと過剰になってしまった部分は否めないと思います(とくに沖田)。私は前回の展開のほうが好きだったなァ。 笑ったのは、ハジメ。あんた、明らかに虎徹にとびついただろう…!(大笑)←刀フェチの一ちゃんには、掘り出しものの虎徹を近藤さんにあげちゃった、てエピソードがありますから、思わずニヤリとなりましたよ。最後まで巧いなみたにさんてば!(そしてその直後、愕然とする。ちょっとちょっとちょっと一ちゃん何処行くの…!? 白河戦は!? あんた隊長やないの…!←『実録』によれば、流山から会津を目指した新撰組本隊は4月25日頃にはまだ若松に到着しておらず、同29日には土方も会津に来ちゃうんですネ。んで、足を怪我した土方さんの代わりにハジメが隊長になり、翌月5日、白河口へ会津軍の応援に行くんです。ハジメが居なくなっちゃったら副長役の才輔が大変だよ;;) そんなこんなで若干の消化不良は最後まで続いたのでした(^ ^ゞ
●嬉し恥ずかし自慢品。 ギミックフラワーの久瀬さまより賜り物。あまりの至福につき謹んで自慢。→■
●更新 >史跡:日野ネタ増築。 >駄文:連載小ネタ訂正&追加。 5-2の部分、土方さんの恰好を着流しとしてましたが、時期的にも本人の洒落っ気的にも対(長着+羽織)のほうが合うような気がしたので変更しました。
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