心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年02月10日(土) 怒りやまず

スポンサーはスポンシーに、できないことを要求してはいけない、と強く思います。

もちろん、自分が相手にできないことをやるように要求しているとは、スポンサーは思わないものです。「これぐらいできるはずだ」と思うから<提案>するものです。

自分がやって良かったことを提案するのはオッケーです。
でも、時期が適切かどうか。
自分だって最初から、その提案どおりの行動ができたかどうか、それを考えてみる必要があります。

たとえば、AAミーティングに頻繁に通おうぜ! という提案にしても、はたして提案するスポンサーだって、AAに来た最初から毎日ミーティングに通えていたのかどうか。最初は、ときどきミーティングに行くぐらいで、そのうち決まった会場に定期的に通うようになって、さらに再飲酒(スリップ)とかの紆余曲折を経て、一時期真面目にミーティングに通ったあと、やがて忙しくなって少し出席数が減ったところに落ち着く・・・という経過があるじゃないですか。

スポンサーシップでなくても、ミーティングにきたビギナーに提案するだけであっても、相手がどの段階にいるか、よく考えてからでないと、<提案>も単なる害にしかなりません。まだ本質的な迷いがある(つまり底つきしていない)相手に、「がつん」と強いこと言ってやるのは気持ちのいいものです。でもそれは、言うほうの自己満足にすぎなくて、相手をAAから遠ざける役にしかたたなかったりします。

相手がミーティングに来たら、「やあ良く来たねと」声をかけて握手をする。世間話をする。話ができないなら、笑顔でうなずいてあげる。そういった、非言語的な<提案>の手段が使えることも、メッセージの運び手として大切なことです。

「提案は小出しにしろ」とは、昔からの知恵です。

話は少し変わりますが、相手がうつ病の場合には、特に気を遣います。うつ傾向のある人は、<提案>を真面目に受け取りすぎる傾向があります。過大な要求をすると、彼らはその提案に完全に従おうと、身の丈を越えた努力をし、やがて疲れ果てて無気力になります。
あるいは、そんなことはできないと、完全に無視します。無視しながらも、実はとても気になっているわけです。

もちろん、うつ傾向のない人も同様かも知れません。けれど、うつ病の人は、提案をほどよく受け入れて、できることから実行に移していくのがとりわけ苦手です。彼らは提案に対して、0か100かで反応しがちです。職場とか家庭でもそうなんでしょう。

そして、うつそのものもソブラエティの「外乱要因」ですし、たいていは処方薬による気分変化も絡んできます。いろいろ面倒な相手だからって、ほっとくわけにもいきませんし。

というわけで、相手の状況を見極めながら、行きつ戻りつ、薄氷を踏む思いで、小出しに提案をするのです。周囲から見ていて、イライラするかも知れませんが、それは仕方がないのです。やがて、半年、1年と経過していけば、彼らも他の同時期のメンバーと同程度の柔軟さを得ていきます。週末のAAイベントに行っても、翌週ちゃんとミーティングに出てくるようになります(そうなるまで行かないほうが良いですよ)。

そうなる前に相手がスリップすれば、アクセルを踏みすぎたか、ブレーキを踏みすぎたか、悩むものです。言うか言わないかの我慢とは違います。

「私はうつ病のことは分からないから、他のメンバーと区別無く同じ提案をする」という考え自体間違っているんです。「分からない」という言葉で、自分の無思慮を免罪しているにすぎません。分からないからどうすればいいか、は分かりたくないんですね、きっと。
だから黙っていろとは言えないけれど、経過を見ながら慎重にやっていただきたい。スポンシーでなくても、自分のグループだろうが、よそのグループだろうが、関係なく。機械的な提案はやめて欲しいものです。

後でフォローする人間の身にもなってくれ。同じ事の繰り返しじゃないか。僕は本当に怒っているんだ。


2007年02月09日(金) 強制力

AAには規則がないと良く言います。
個人個人がどう考え、どう行動するか、最大限尊重しています。

でも、まったく自由で、強制するものが何もないわけじゃありません。それどころか、考えられる限り、最大最強の強制力があります。
それは「酒ビンの中の強制力」ってやつです。

ある人が、「私のハイヤー・パワーはアルコールだった」と述懐するのを聞いたことがあります。アルコールが私たちの支配者で、私たちはその専制君主の奴隷でした。そして酒を飲まなくなった今も、その支配者の手先は、もう一度奴隷生活に引きずり込もうと、手ぐすね引いて待ちかまえています。

個人個人に、アルコールという強制力が働いていることを理解しなければ、AAの無規則主義を理解することはできないんじゃないかと思います。


2007年02月06日(火) 頭のおかしい人は

今ではそんな言葉は聞きませんが、昔は「頭のおかしい人は、自分の頭がおかしいとは認めない」という俗説がありました。

つまり、精神を病んでいる人は、自分の精神が病んでいることを認めたがらない、というのであります。

精神病院に入院してみると、その俗説は嘘だと分かります。ほとんどの入院患者が、自分が鍵のかかる病院の中にいる理由は理解しています。それは楽しくない現実なのですが、すぐにそれを解消するめども立たないので、直接その事実を見つめずに、ちょっと目をそらして生きている、ってところでしょうか。

うつ病の人は、あまり病識がないと言います。心が苦しいのは認めますが、自分は怠け者になってしまった。もっとがんばらなくちゃいけないのに、がんばれない。皆に迷惑をかけて申し訳ない、などと言います。自分がもっとがんばりさえすれば、事態は解決すると思っているので、薬も熱心には飲みたがりません。
うつになる生き方を自分で選んで来たから、今うつになっている事実を認めないと、元気になっても、いずれぶり返してしまいます。

原因はストレスかも知れませんが、同じストレスを受けても、うつになる人・ならない人がいます。うつになりやすい体質を「ハンディキャップ」と呼べば大げさかも知れませんが、本質は同じであります。

アル中さんも、自分の精神が病んでいるとは考えたがりません。
三大否認てやつがあります。

1.自分は、アルコール中毒ではない(だから酒をやめる必要はない)。

2.(自分はアルコール中毒かも知れないし、酒をやめなければならないかも知れないが)自分で酒はやめられるから、誰の助けも要らない。一人でやめられる。

3.(自分が酒をやめるのに、何かの助けが必要なのかも知れないが)酒さえ止まれば自分は正常であり、酒以外の問題は抱えていない。

「酒以外の問題」ということであれば、アル中以外の人も抱えていることでもあり、そういう人たちが特別な努力無く生きていくなら、自分にも特別な努力は必要ない・・・と考えるのは自己欺瞞です。
だって、アル中以外の人は、酒を飲んだら病気がぶり返して社会生活中断、というハンディキャップは抱えていないんですから、同等に考えるのがおかしいんです。体質も、考え型の歪みも、やめただけじゃ治らんのです。

否認は自分では気付きにくいですが、他の人の否認は分かりやすいものです。「頭のおかしい人は、自分の頭がおかしいとは認めない」とは、アル中を示して言われた言葉かも知れませんね。


2007年02月05日(月) 年数が経ってから理解する

実家で酒を飲んでいたころ、僕は節酒をしようと、さまざまに努力しました。
その中のひとつに「酒を買って帰らない」という手段がありました。といっても、手ぶらで帰るわけではなく、2合ほど買って帰るのでした。酒が2合しか手元に無ければ、飲み過ぎることもない「はず」だったのです。

が、当然そんな量で満足できるはずもありません。時計が気になります。午後11時になれば、酒を売る自動販売機は締まってしまいますから、追加の酒を買いに行くなら11時前にしないといけません。
買いに行ってしまえば、結果飲み過ぎるから、そこはなんとか我慢します。しかし、酒が足りなければ眠れません。まんじりともしないのです。夜中に片道2時間歩いて、隣町のコンビニまで買いに行ったこともありました。
しかし、たいていは朝5時に自動販売機が再開するまで耐え、買いに行くほうを選びました。そういうことは東京一人暮らし時代にもありましたが。もちろん、朝5時から飲みなおしていたのでは、仕事には行けません。

さて、冬は5時でもまだ暗いから良いですが、夏は5時ともなればすっかり明るいわけです。そして悪いことに、田舎の年寄りは朝が早い。朝の爽やかな光の中を、角瓶とかビールの1リッター缶を提げ、変な目つきでふらふら歩く僕の姿は、多くの人に目撃されました。

「恥ずかしいからやめてくれ」と親に言われても、やまるわけがありません。近所で「あそこの家の次男坊は気狂いだ」という噂になりました。近くの家に、別の精神病の患者を抱えた家があったのですが、そこと同じ扱いです。まあ、そういうカテゴライズは間違ってませんけど。

僕の酒が止まったのは、結婚して家を出た後でしたから、結局僕はそこの「地域社会に復帰」はしなかったのです。だから、近所に飲まない姿を見せることはありませんでした。

その後、何年かして、ちょくちょく実家に顔を出すことになります。僕が酒をやめたことは近所にも知れたようです。人々は母に会うと、
「○○ちゃん(僕の名)、奥さんもらって、子供もできてよかったねぇ」
と声をかけるようになりました。しかしそれは言外に、
「○○ちゃんは、お酒を止めて更正してよかったね」
と言っているわけです。

それを聞くたびに、母は当時を思い出して顔から火が出るほど恥ずかしかったと言います。近所から何も言われなくても、僕の車が実家の軒先に止まっている。それを近所が見ている、というだけで、どうにもいたたまれなかったらしいです。

しかし実家に顔を出すなとは言われませんでした。「お前は私の息子だし、それにあれは病気だったんだから」と。どれだけ僕が深く母を傷つけたか、それを無理に許してくれていることも痛いほどわかりました。

あれは病気の症状だった。それは間違いありません。
たしかに、世間はアルコール依存症に(いや精神病全般に)無理解です。
しかし、病気を免罪符にしても、スティグマに責任転嫁しても、僕が母に恥をかかせ、心を傷つけた事実は消えません。それは他の誰でもない、僕がしたことです。
「別に派手なことをやらかしたわけじゃない」といいわけもできません。

それに気付くまで、僕は「自分はそれほど酷いこと、悪いことはしてこなかった」と、ず〜っと思ってきたのです。

ちなみに、兄が許しの言葉をくれたのは、母よりずっと後です。

親の死に目に会えなかった話は、AAで結構聞きました。刑務所とか、保護室とか、そんな話ばかりでしたが。親の葬式の喪主になって、通夜を抜け出してAAミーティングに来た人にも会いました。
人ごとだから言えるのかも知れませんが、親の死に目にあわせて貰えないってのは、それだけ重症だってことでしょう。もう何年か前に酒をやめていたら、会えたのかも知れません。しかし、会える・会えないの分岐点は、とうに通り過ぎてしまって、もう変えられないわけです。
変えられないものを変えようとすれば、悩みになり苦しくなる。
司直、医師、中間施設のスタッフ、AAスポンサー。誰が判断を下すかは、些末な違いじゃないかと思いますよ。

僕も、もう何年か飲んでいたら、親の死に目に会えなかったでしょう。
という話をすると、「その前に自分が死ぬよ」というツッコミが、必ず入る仕組みになっています。

実家の周りを子連れで散歩していると、今では母にではなく、僕に直接「よかったねぇ」と言ってくれる人がいます。僕が、「おかげさまで良い連れ合いをもらいまして」という話をすると、相手は満足そうです。


2007年02月04日(日) 怪しげな健康茶ならウチにいくらでもあるよ

日本最大の新興宗教というのがあります。大きさで言えば例の「学会」のほうが目立つのですが、それは数で言えば二番目です。一番目のほうは、分裂してしまったこともあって、全体をまとめて数えられることも少なく、あまり世間では目立っていない気がします。

実家の隣の家のおばさんが、そこの信者でした。あまり強烈な印象はありませんでしたが、そのおばさんが選挙に出た話は憶えています。その宗教のつてを頼りにしたらしいのですが、町議選にあえなく落選していました。政治に熱心な別の宗教団体だったら違ったのかも知れませんが。
以前「いんな○とり○ぷ」という雑誌を本屋に並べていたのも、その団体でした。

ずいぶん以前の話になりますが、いきなり実家の母から電話がかかってきて、僕の妻が、その宗教団体の人を伴って、実家を訪れたと知らされたことがありました。「先祖供養をしたいので、位牌を見せて欲しい」と言われて、母もどこの団体なのか理解したようです。

その数日後、妻と話をしました。
妻が言うには、そこは多額の喜捨は要らず月に500円の会費でよく、派手な宗教儀式も要らず、強力な布教活動も要らない。先祖への信仰は良いことだから、その団体は悪い宗教ではないと主張するのです。
思い出せば、隣のおばさんの宗教に迷惑をかけられた記憶もありません。だから、「その宗教がいかに悪であるか」という論法で攻めるのは、その時点で諦めました。
もともとその論法には(手に入れたものが宗教であれ、納豆であれ)、相手をさらに意固地にさせる欠点があって、説得の道具としては使い物にならない、と経験が教えてくれたこともあります。

誰から誘われたのかと聞いてみると、父親(僕にとっては義父)からだと言いました。父親に誘われて通っているうちに、入信を断り切れなくなったようです。そういえば、その数ヶ月前から母屋のほうに、見知らぬ人がたびたび訪れていました。
父親に言われると断れない親娘関係というのも、実に困ったものですが、その話は今回は置いておくとして・・・。

そのうち義父がやってきて、その宗教がいかに良いものか話し始めました。その話をずっと「はいはい」と聞いた後で、
「なぜ、妻が入信した事実を2ヶ月も3ヶ月も知らされず、よりによって実家の母から知らされねばならないのか。実家へも前触れ無くいきなり訪問したのではないか。それで信用しろと言っても無理ではないか」
ただそれにこだわってみました。

もともと妻は「パソコンを使った在宅ワーク」に騙されて泣き寝入りしたり、高価な学習教材を買って消費者生活センターに相談に行ったり、やはり高価な健康食品を買ってクーリングオフしたり・・と、いつもダンナが気がついた頃には、トラブルにはまり込んでいるケースを繰り返しています。
今回はたまたま対象が宗教だった、ということなのでしょう。

信教の自由とか、その宗教がよいとか悪いとかは置いといて、ひたすらスジ論だけをして「それではスジが通らねえ」という話だけをしました。
最後には義父も折れて、じゃあどうすれば納得するかと言われたので、
「いったん退会してもらって、数ヶ月おいて、本当に入信したかったら、今度は相談しながらすればいいではないか」
ということにしました。

その後、その宗教の人がたびたび訪れてきたり、義父が「話だけでも聞いてくれ」と言ってきましたが、僕は、その宗教の善悪と今回の件は無関係、ともかく半年の冷却期間。とつっぱねていました。

例外はあるでしょうが、多くの新興宗教は一度退会した人の再入信を認めていません。妻も父親に流されていただけで、別段入信したくはなかったらしく、あれからずいぶん経つもののその話はぶり返していません。ケロっと忘れたかのように。

ときおり母屋へ行くと、義父がお経をやっているところに出くわすことがありますが、それは僕がとやかく言うことではありません。

僕は宗教が悪いものだとは思いません。ただ、天台宗の山田座主の「宗教のデパートがあればよい。そうすれば人は自分にあった宗教を自由に選ぶことができる」という言葉に、深い感銘を覚えるのです。


2007年02月02日(金) 200万分の一

「だから私は、突然であれ、ゆっくりであれ、誰かが変わっていくとき、その変化を疑ってはならないと思う。また私たちは、自分の要求に最も役立つものを求めがちであると経験が教えているから、自分の好みに合った特別なタイプになるようなことを求めてはならないのである」
『ビルはこう思う』281

AAに入って、それなりの回復を得た人なら誰でも、振り返れば自分が歩いてきた「回復の道」ができているものです。楽しいことも、辛いこともあった道ですから、誰でもその道に愛着を持つものでありましょう。

不思議なことですが、人間は自分の歩いた道を、後ろから誰かが歩いてきて欲しいと願うようであります。まるで誰かが後ろをついてきてくれることが、自分の歩みが無駄ではなかった証明になるかのように。

例えばグループの中に、半年ぐらい飲まないメンバーがいたとします。
「こつも半年経ったか。俺が半年の時には、AAの仲間のありがたさが分かって、仲間に感謝できたものだが、こいつはちっとも仲間に感謝しないなぁ」というようなことにこだわってしまうと、自分が苦しくなります。
どうやったら、大事なことに気付いて貰えるか、一生懸命考えてみたり、<提案>してみたりするのですが、基本的にはイライラが募るばかりです。

スポンサーシップにしても同様で、スポンシーにはまず自分と同じ道を歩いて貰うのが普通でしょう。その道には少なくとも自分という成功例があるので、(自分が歩いたことのない道よりは)自信を持ってお勧めできるわけです。
ところが、人間は一人一人違うので、同じ道を歩くとか、同じように回復することはできません。違った回復の仕方をします。

スポンシーを自分の型にはめたがるスポンサーと、はめられて感謝しているスポンシーのペアに出会うこともあります。なんだか共依存的で、脇で話を聞いているとベトベトした感じがあって気持ち悪いものです。俗に親分・子分と悪口を言われたりします。

自分と全く同じ道は誰も歩いてはくれません。たとえ最初そう見えても、必ずどこかで逸れていきます。「僕の好みのタイプ」に回復する人は誰もいません。人は人、おのれはおのれです。好みの回復にこだわれば、他のタイプに嫌悪感を持ってしまい、誰かが失敗すれば「だから言わんこっちゃない」と冷たく突き放したくなります。

伝えるべきものは、自分の経験ではなく、AAの原理であること。原理を伝えるために、自分の経験という道具を使っているにすぎないこと。AAメンバーが200万人いるなら、自分の経験なんて200万分の一の価値しかないこと。
それを自分に言い聞かせて行きたいです。

そうは言っても、この文章だって俺様教を布教しているメンバーを非難しているだけなので、自家撞着するのですが。


2007年01月30日(火) 恨みについて

親を恨んでいるAAメンバーは多いです。

恨みは乾かさなくちゃいけない、とは言うものの、最近の僕は「無理に親を許すことはない」という意見です。

そういう僕も「許さなくちゃいけない」と言っていた時期がありました。
親を恨んでいるAAメンバーが多ければ、AAミーティングで親への恨みを話す人も多くなります。僕はそういう話を聞くと、なんだか落ち着かなかったものです。

ひとつには、自分もその頃親になっていて、しかも自分が親として十分なことが出来ていないという引け目を感じていたので、親への恨み言を聞かされると、なんだか自分が責められているみたいでいたたまれないのだと、分かりました。
親としてほやほやの新米であるにも関わらず、早く立派な親になろうと焦っていました。子供が親を親として育ててくれるってことが分からず、一気に「親として二十歳」になるのを自分に課していたのでした。
親として修行中という現状を認めることが必要でした。

もうひとつは、「自分は親を許せた」と自分を騙していたことでしょう。
僕が求めるだけの愛は与えてもらえなかったが、親は親なりに僕のことを愛していてくれた。という文脈を使って、無理に許していた。いや許せたことにしていたのでした。実際にはちっとも許せていなかったにもかかわらず、親への恨み言を言うのを自分に禁じていました。そしてそれは苦しかったのです。喜びのない許しでした。
だから、他の誰かが親への恨みを話しているのを聞くと、なぜこの人は僕と同じ我慢ができないのだろう、という苛立ちを感じるのでした。

さらには、僕はいったん人生を投げ出した不肖の息子で、引け目を感じており、親への恨みを許すことで、自分も許されたいという、取り引きを試みていたのでした。

そういった理由で、他の人にも「親は許さなくちゃいけない」と説教じみた話をしていたのです。でも本音は、「親への恨み言なんて聞きたくねえよ、もうその話はするな」でした。

親を許すことが、具体的にどういうことなのか分かりませんが、僕の考えでは「一緒にいて緊張しない」ってことだと思います。敵意を持った相手と一緒にいれば、緊張するし疲れます。この正月も実家に行きました。母が「二泊していきなさい」と言ったのですが、さすがに二晩目はこちらが耐えられなくなり、AAミーティングへと脱出してしまいました。ちっとも許せていないのであります。

恨みのリストを作って、恨みが強い順に並べると、親はトップか2番目に来るんじゃないでしょうか。そういうでかい目標をいきなり許そうというのは、登山の経験がないのにいきなりヒマラヤへ登るようなもので、遭難間違いなしです。まず低い山から練習でしょう。

そうした気づきがあって、最近は「親は許さなくて良い」と言っています。
AAプログラムに取り組んでいれば、そのうち自然に許せるようになるだろうから、それを信じていこうよと話しています。ふと振り返ってみれば、以前よりは許せる範囲が大きくなっている自分に気づくだろうと。

うつ病患者は、怒りを無理に押さえ込んでうつになります。同じように、許せないものを無理に許そうとすれば、ソブラエティの質は悪くなるでしょう。

父親から性的虐待を受けてきたメンバーの話を聞いたことがあります。ホームグループで1年間、繰り返し親への恨みを語ったそうです。そして父親くらいの年齢のおじさんメンバーたちは、黙ってそれを聞き続けてくれた。おそらくその受容が、その人の恨みを溶かし、やがては酒からの解放をもたらしたのだと、僕は思います。
そのグループのメンバーが、回復した人たちで良かったと思います。僕だったら、いつか耐えられなくなって、「AAの目的から外れる」とかイチャモンをつけて、全て台無しにしていたかもしれません。

親より仲間を許しなさいと言っています。親が許せなくて一緒に暮らせなくても、生きていけます。けれどAAの仲間が許せなければ、AAの中で自分の居場所がどんどん狭くなって、やがて自分で自分をAAから締め出すことになります。それで自分は生きていけるかどうか。
誰かが、親への恨みを話していても、それは自分も同じだと思って、許容することが僕に必要なのだということです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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