心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年10月07日(土) 不平等について

AAホームグループのミーティングへ。

僕のソブラエティが、あなたのソブラエティよりも長いとします。
なぜ僕のほうが長いのか。その理由は「僕のほうが早くAAにつながったから」だろうと思います。そのことをもって、僕があなたより優れていることにはなりません。
僕より長いソブラエティを持つ人はたくさんいます。その人たちも、僕より早くAAにつながったというだけのことです。
けれど、結果として年数の差は出てきてしまいます。それは公平ではないですが、世の中はそれほど公平なわけでもありません。そのことを私たちは「変えられないもの」として受け入れています。もし、逆転を狙うなら「先ゆく仲間」が再飲酒してくれるのを願うだけになります。

あっちこっちのミーティングに出かけ、イベントやサービス活動にも参加しているメンバーは、知り合ったメンバーの数も増えます。そういう人のバースディ・ミーティングは賑やかなものになります。そういう人は「恵まれている」のです。
一方、何らかの理由で、ホームグループのミーティングが主で、あとは地元の病院メッセージを支えているという人は、知り合いの数も多くなく、バースディにやってくる人数も少なくなります。
記念の色紙だって、たくさん書かれた何枚もの色紙を受け取る人もいれば、ちょっと淋しいのを1枚だけもらう人もいます。
それは明らかな不平等ですが、だから悪だとは言えません。

神さまから配られたカードは、一人一人違っています。良かったり悪かったりします。それを平等にしろと言ってみても始まりません。勝負にならないと泣いていても、何も変わりません。私たちは、配られたカードで楽しく遊ぶことを望まれているのです。

人による評価はわかりやすいです。たくさんの人の集まるところには、何か魅力があるんだろうと思ってしまうのが人間です。しかし Higher Power (もしくは神)による評価のほうが大切です。
神さまは、いつも私たちのことを見ていてくれ、欲得なく評価してくれます。

だから、かえりみられないメンバーがいることを、気に病む必要はありません。たいせつなのは、その人たちのスピリチュアルな状態がどうかということです。そして、それはすべてのメンバーの関心事でもあるはずです。


2006年10月06日(金) 12のステップ(異訳)

1.私たちはアルコール(または麻薬、食べ物、ギャンブルなど)に無力であり、人生がコントロールできなくなったことを認めます。
2.自分より大きな力こそが、私たちを健全な状態に戻してくれると信じます。
3.私たちは自分の信じる「大きな力」に自分の意志と人生をゆだねることにします。
4.自分自身を深く掘り下げて、勇気をもって自己評価を行います。
5.自分自身に対し、また他人に対して、自分の悪いところを正しく認めます。
6.これらの性格上の欠陥をすべて取り除いてもらう、心の準備が完全にできました。
7.謙虚な気持ちになって、欠点を取り除くことができますようにと願います。
8.自分が傷つけた人すべてのリストを作り、その人たちに進んで償いをしようと思います。
9.傷つけてしまった人には、できるだけみずからの手で償いをします。ただし、それによって相手や他の人間を傷つけることがないようにします。
10.引きつづき自己評価をおこない、自分が悪いと思ったらすぐにそれを認めます。
11.祈りと瞑想をとおして神にもっと深くふれるように努め、その意志を知り、それを実行する力を授けてもらうためにひたすら祈りをささげます。
12.これまでのステップをとおして精神的な目覚めを体験したら、同じような悩みをもつ他の人にもそのメッセージを伝え、この「12のステップ」をあらゆることにあてはめて実践するよう心がけます。

ものごとにはそれにふさわしい時間がある
It Takes Time.

気楽にいこう
Easy Does It.

人は人、自分は自分
Live and Let Live.

その日のことだけを考えよう
One Day at a Time.

問題を複雑にしない
Keep It Simple.

いつでも戻ってきて、うまくいくよ
Keep Coming Back. It Works, If You Work It.

前へ進んで、大きな力にゆだねよう
Let Go and Let God.

大事なことから先にやろう
First Thing First.

もっともっと考えよう
Think Think Think.

講談社『まにあうよ、いまからでも』〜スヌーピーたちの生きることが楽になる12のステップ〜

現在日本AAが用いている12のステップは こちら


2006年10月05日(木) アルコール症者救済の12段階

1.我々は自分がアルコールに対して無力であったこと、かつて自分の生活が自制できなかったことを認めた。
2.我々自身よりももっと偉大な力が、我々を健全な状態に立ち返らせることを信じるようになった。
3.我々は神を理解し、自分の意志と生命とを神の加護に委ねることを決心した。
4.我々は自らの厳しく勇敢な道徳的資産を作った。
5.我々の過ちの委細を、神にも自分にもまたもう一人の人の前でも認めた。
6.神がこれらの性格上の欠点を全て正して下さることをお願いする用意が調った。
7.伏して神に我々の欠点を正して下さるよう願った。
8.我々が傷つけたり害した全ての人の表を作り、その人びとに直接償いをしようと決心した。
9.8.の行為のために、その人や他の人を傷つけない限り、どこまでもできうる限り直接償いを果たした。
10.我々は人格的な資産を獲得し、自分が間違っている時はすぐさまそれを認めた。
11.我々に対する神の意志とそれを実行できる神の力を知るためのみに祈る時、我々が神を理解している場合、祈りや黙想によって意識的な神との接触を強めようとした。
12.これらの各段階を経た結果として心からめざめたとき、我々はこの御神託をアルコール症者に伝え、これらの生活方針を我々の実生活において実行した。

診断と治療社『アルコール辞典』(1979年初版発行)。

現在日本AAが用いている12のステップは こちら


2006年10月03日(火) 仲間のバースディ

仲間のバースディ・ミーティングへ行きました。
ここのところ2回続けてバースディMの空振りを経験していただけに、三度目の正直でありました。

バースディ・ミーティングを行う理由については、様々な考え方があると思います。だから、何が正しくて何が間違っていると言うつもりはありませんが、少なくとも「バースディ者本人のためだけに行っているわけじゃない」のは確かだと思います。

何年かのソブラエティを重ねると、晴れがましいことは気恥ずかしいからという理由で、バースディ・ミーティングをしなくなってしまうAAメンバーもいます。バースディとはみんなにお祝いしてもらう場だと思うのは、一面的な見方です。
そもそもバースディとは、がんばった人を皆が誉めるためのミーティングではありますまい。どちらかと言えば、自分のソブラエティは仲間のおかげであるという感謝を示す場であろうと思います。だから、ケーキを買ってきて皆に食べてもらうのでありましょう。
時間が経過しても、その感謝が減ることもないならば、等しく感謝を表明し続けることは必要だと思います。

もうひとつの理由は、新しくAAにやって来た人たちのためであります。
AAでは、飲まないでいる期間の長さについて、それほど頻繁に話がでるわけじゃありません。だから、仲間のソブラエティの長さは、普段はあいまいにしか分かりません。AAにつながったばかりのメンバーは、はたして自分は何年AAを続けていけばいいのか、そもそも自分がこの先飲まないでいられるのか、不安を持っているが普通でしょう。
バースディ・ミーティングは、そうした不安を解消し、勇気づけていくメッセージのひとつの形だと思います。それは言葉によるメッセージとは、また違ったものを伝えてくれると思います。

何がしてもらえるかではなく、自分が何を贈れるかを考えれば、バースディ・ミーティングもそれほどおろそかには出来ないと思うのですが・・・まあ、無理強いは出来ないし。
まあともかく、昨夜は、ドアを開けたらちょうどろうそくが灯されるところだったので、安心しましたよ。


2006年10月02日(月) 厳罰化で交通事故は減るか?

直近の交通事故の経験は、今乗っている車が納車されてから3週間のときでした。
朝の混み合う時間帯で、僕は始業に遅れそうで急いでいました。近道をするために、信号のない交差点を右折ようとした時でした。近道しようと意志決定するのが遅れたので、結構な急ブレーキになってしまいました。それでもタイヤが鳴ったり、ABSが働いたりするほどでもなかったのですが。
いざ曲がろうとするときに、後ろからキキーとブレーキ音がした後、軽くゴンという衝撃がきました。営業車のバンに追突されたのでした。運転していたのは若いおにーちゃんで、助手席の上司との話に気を取られて反応が遅れたと言っていました。
お互いの保険屋に連絡を取って、事故証明は要らないということなので、5分で別れました。
こちらも急ブレーキを踏んだ責任があるのですが、追突の場合には100対0で、追突した方が悪いという規定がありますから、揉める要素はありませんでした。非常識なほどの急ブレーキでもなかったし、非常識なほど車間が短かったわけでもない。まして、車の中で会話することを非常識とは言えません。車に乗っている限りは、避けることの出来ない類の事故でした。
ちなみに、新車購入直後の事故では、保険屋に新車への交換を要求できます。ディーラーも乗り気だったのですが、納車まで45日待ちと言われたので諦めました。

交通事故はゼロにはならないだろうと思います。十分に安全な車間距離をいつも確保できているわけじゃありません。十分安全な速度で走っているわけでも、人と車が十分安全なほど離れているわけでもありません。現実にはいつも危険領域に足を踏み入れ、人間の能力以上のものを要求されているのです。
だから、一定の確率で交通事故は起こってしまいます。たとえ僕が、あれ以来事故に遭っていないとしても、今日仕事から帰る途中に事故に遭わないとは言えません。

飲酒運転の厳罰化は、確かに飲酒事故を減らすでしょう。でも、事故全体に占める飲酒事故の割合はそれほど多くはないでしょうから、交通事故の件数はそれほど減らないのではないかと思います。

それでもなお厳罰化をするのか。それは、飲酒運転は「避けられるもの」であり、あえてするのは故意犯であるという解釈があるからでしょう。たしかに、被害者にしてみれば、もし運転者が酒を飲んでいなかったら、という感情を持つのは当然と言えます。

厳罰化をすれば、理性の働く人たちは、飲酒運転を避けるようになるでしょう。それでも、(私たちがよく知っているように)飲酒に関しては理性の働かない人も相当数残ると思われます。
その上で、厳罰化をし、道徳心に訴えたにもかかわらず、どうしてこの人たちは飲酒運転をやめないのだろうと、人々が考え出したときに、初めて「やめられない病気」という概念がクローズアップされてくるのではないかと考えています。


2006年10月01日(日) 脱穀

実家に脱穀の手伝いに行ったのですが、土曜日は子供たちが英語教室の体験入学に行きたいと言うので、それを待っていたら出るのが送れ、着いたのが午後五時。初日の作業はもう終わっていました。あとは、後かたづけだけ。
日曜日は朝起きたのですが、眠かったので、もう少しだけ眠らせてもらおうと思い、もう一度起きると既に昼でした。子供たちが後かたづけを手伝ってくれたらしいですが、母には「お前は何をしに来たのだ」と言われる始末です。

次の週末は東京。その次の週末は資格試験と、気の抜けない日々が続きます。

コミケ代表の米沢嘉博氏、肺ガンで死去

二十年以上前に、ご自宅にお邪魔したことがあります。
税務署に捕捉されている年収が五十数万円で、奥様の扶養家族になっているお話だとか、自宅マンションの玄関前に本が入った段ボールが積み上がっていて、消防署から撤去命令が出ている話をうかがいました。そして、Alice in Wonderland のポルノ版を見せていただきました。二十歳前の小生には刺激が強すぎましたが。
東京おとなクラブ」で、ホーテンス・S・エンドウとか中森明夫という人に会ったのも同じ頃です。
現在僕が勤めている会社にも、若い世代にはオタッキーな人間が多いです。でも、コミケで同人誌とかソフトを売っていた過去は封印して生きているので、彼らと関わりあいになることはありません。


2006年09月30日(土) スリップ

ある種の人々は、AA(や断酒会)とまったく無関係でも、無事に飲まないで生きていけます。5年とか10年とかのある程度長いスパンでみれば、そういう人はごく少数になってしまうでしょうが、それでも確かに存在してはいるのです。
何年間か通った後、AAを卒業してしまう人は多くいます。これもある程度長いスパンで見れば、彼らの多くは病気がぶり返してしまうものの、ある程度の数は無事に生き延びます。そのことは、僕がもらう年賀状の内容からもうかがえます。

自分がそういう「AAのサポートなしで無事にやっていける人間」であるかどうか。
それを事前に知る方法はありません。だから、試してみるしかないわけですが、相当分の悪い賭でもあります。とてもそっちに賭けてみようって気にはなれません。

1年後に飲んでも、10年後に飲んでも、結果は変わりません。長く飲まなければ、再飲酒しても軽くすむってことはありません。

自分の飲酒がコントロールできてないのを認めるのでさえ、多くの依存症者が嫌がります。ましてや、断酒という贈り物に感謝している自分が、いとも簡単にそれを投げ捨ててしまうとは、認めたがらなくて当たり前です。

短期間に再飲酒を繰り返し、なかなかお酒が止まらない人は、実は入院もしていないし、自助グループにも十分に通っていない事例が多いです。本院の言い訳はいつも同じで「時間がない」というわけです。
そうするとハイヤー・パワーは、その人から仕事だとか家族だとかを取り上げてしまいます。今度は「時間がない」という言い訳ができなくなって、やっと回復に向かうというわけです。

いったん安定した断酒にたどり着いた後で、自らケアを中止してしまう事例でも、プロセスは同じだと思います。時間がないと言いながら、自助グループから遠ざかり、スリップする。再び自助グループに戻ってこれれば幸いです。でも、条件が変わっていなければ、また同じことを繰り返すだけです。
仕事や家族や社会的立場を取り上げられるまで、変わらない人もいます。

ハイヤー・パワーに取り上げられる前に、自分で自分の生活を見直すことが必要なんだと思います。仕事や家族が問題なのではなく、自分が変えたくない何かが邪魔していることが多いものです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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