心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年01月08日(火) カレンダー

数年前のある日。電話がかかってきました。

「また飲んでしまいました」
「あそう。じゃあ、またやり直そう」

「もう、どうしていいか、わかりません。どうしても飲んじゃって」
「そりゃ、やることやってないから飲むんじゃないですか?」

「ちゃんとミーティングにも通ってたのに」
「そうかなあ、カレンダー見てごらん」

「・・・」
「ミーティングに行った日には○を、行く予定だったのに行かなかった日は×をつけるって話だったよね。カレンダー、どうなってる?」

「・・・」
「カレンダーは正直だよね」

「・・・何にも印が付いてません」
「そうだ。もう×を付けることすらやめちゃってたんだ。それが飲む準備だよ」

「ひいらぎさんはやってるんですか?」
「もちろん、僕みたいにミーティングに出たりでなかったりする人間にはとりわけ必要だよ。自分が思っているほど出てないものだからね」

「明日からまたミーティングに行きます」
「うん、それがいいよ」

まあ、実際にはExcelのシートに記録しているだけなんですけど、自分が思っているほど出ていないもんです。毎週行ってるつもりの会場でも、出席率7割ぐらいだったりして。


2008年01月07日(月) beleiveとfaithふたたび

下の子の手首のギブスは完全に取れましたが、上の子の足首のギブスはまだ半分残っています。ただそれでも、月末のスキーには行って良いと医者に言われたので、ずいぶん喜んでいます。

さて、ステップ2には「信じるようになった」と書かれているので、信じるようにならなければステップ2ができないと思ってしまう人は多いようです。

以前にも http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20071127 beleive と faith については書きました。

コロンブスがポルトガルの港を出港した頃は、ほとんどの人は「世界は平面で、海の向こうには世界の果てがあり、そこからは海の水が地獄に流れ落ちている」と考えていました。一方コロンブスは、地球は丸いと考え、西へ航海すればアジア(カタイやジパング)へ届くと信じていました。彼はプトレマイオスやマルコ・ポーロの本を読んで、地球が丸いことを信じて(beleive)いましたが、確信(faith)というほどではなかったはずです。

多くの人が「彼の船は世界の果てから地獄に落ちるに違いない」いたわけですから、航海を続ける彼にもしっかりと不安があったはずです。

世界は彼の想像通りではなく、ヨーロッパとアジアのあいだにはアメリカ大陸があり、しかも彼が見つけたのはアメリカの東のバハマ諸島でした。彼はそこをインド(の東)だと思ったようで、現地人はインディオ(インド人)と呼ばれることになりました。

ともかく彼は、大西洋の向こうに土地があることを知り、本国へ帰りました。彼はその後3回新大陸へと航海します。けれどこのときにはもう彼の心には、世界の果てから落ちる不安はなかったはずです。逆に新大陸があることは、経験から来る確信(faith)に変わっていたと考えられます。

ステップ2も同じです。酒に対する無力をハイヤー・パワーが救ってくれる、ということを、疑いを持ちながらも信じてみる(beleive)ところから始めるしかありません。そして、コロンブスがパロスの港を出発したのと同じように、不安と疑いを持ちながらもステップ3で出発する決心をします。順調にその後のステップを航海すれば、いずれステップ12で「霊的目覚め」という新大陸にたどり着くでしょう。
その時に初めて「自分がやってきたことが自分を救ってくれた」というfaith(信仰)が生まれます。

だからステップ2では、疑いながらでも「いっちょ信じてみっか」と始めればいいのです。


2008年01月06日(日) 二者択一

妻がちっとも家計簿を付けないので、仕方なく僕が付けることにしました。薬局でダイエット用と称する栄養剤を買ったり、初詣の神社で何千円もお守り買ってみたり、結構無駄遣いしてるんじゃねーかよ、とは思うのですが、それを追求してスネられて、家計簿を付けることに協力してもらえなくなると、本末転倒です。なので、とりあえずスルーです。

さて、同じことの繰り返しになるのですが、ステップ1は人を回復させないと言います。ステップ1で「無力になる」のではなく、ずっと前から無力になっていることに今さらのように気づくだけの話です。つまり、ステップ1は知識です。
ただ、単に「自分が無力だ」という知識を持つだけじゃなく、無力を「心の底から」認めることが求められます。

無力であるのは嫌なことです。無力であることは絶望です。絶望が好きな人はいないでしょう。誰でも無力は嫌なものです。ですから、無力を認めると、人は無力を解消しようと努力が始まるはずです。

ここから先は僕の考えなのですが、無力の解消には二つの手段があるように思います。ひとつは「大きな力」によって無力を解消するステップ2へと進む方法です。

もうひとつ「もっとやさしい楽なやり方」があります。それは否認です。無力から目を背け「自分は無力じゃないんだ」と言い聞かせる方法です。生活が楽になればなるほど、恵まれるほど、この自己欺瞞が得意になります。もちろん無力は解消できていないので、長い目で見ればいずれ酒へ戻ることになるでしょう。

ステップ1だけができている、という人はいないはずです。そんな絶望的な、暗く、辛い状態に長いこと留まれる人はいないでしょう。だから、前へ進むか、後へ戻るか、どちらかをするはずです。

「AAミーティングに通い続けているけれどステップ1がから後ろに戻っちゃった人」はいっぱいいるんです。


2008年01月05日(土) エレキネタ

携帯電話とPHSの二台持ちという生活を続けています。
単純に電話代の節約を目指しての話ですが、予想外のこともありました。
それはPHS端末の作りがチャチであることです。

携帯とPHSの両方を持っていると、どうしても比較してしまいます。買ったのは京セラ製の最新端末なのですが、全般的に動作がもっさりと遅いのです。ただ、メニュー操作については、もっとレスポンスが悪い携帯電話もあるので我慢しましょう。
こらえられないのは、Opera(フルブラウザ)の遅さです。通信速度の問題ではなく、積んでいるプロセッサの遅さでしょうか。忍耐力養成装置になっています。

おまけにそのフルブラウザが、普通のホームページをまともに表示してくれません。「家路」も読めないところがたくさんあります。いきなりPHSを床にたたきつけて、「ぬおー」と叫びながら外に駆けだしていきたくなりますが、そこは我慢です。

あと作りが安っぽい。携帯電話3社のなかでは、auの端末が一番調達価格が安い=一番安っぽいわけですが、それと比べても明らかに安っぽい。キーの感触も悪いし、手に持ったときの重量バランスが悪いので、メールが打ちにくくてたまりません。いきなりPHSを床にたたきつけて、「ぬお(以下ry

Windows Mobile を積んだスマートフォンには力が入っているのかも知れませんが、主戦場の音声端末がこれでは・・PHSの未来が暗く感じられる今日この頃です。

いや、慣れればいいんだ、慣れれば。

「おせちもいいけどカレーもね」などと言ってしまったら、三日間カレーが続いたりしております。

いや、慣れればいいんだ、慣れれば。


2008年01月04日(金) 変わりたいのに

アルコールの専門病院に入院して分かったことは、やっぱり世の中のアル中の大多数は酒をやめられないのだ、という単純な事実です。
保護室に入れられたときには、こんなみじめな思いをするなら、もう二度と酒など飲むのかと誓いました。けれど、入院中に他の人の「また飲んだ」経験談を聞くにつれ、自分が酒をやめられる見通しも暗く感じられました。
人間はトラブルを抱えていても、そのトラブルが解決不能であると、問題を直視するのをやめてしまうものです。例えば、一生かかっても返済できない借金を抱えてしまえば、借金の残額がいくらかなんてチェックしたくもないでしょう。
だからその時の僕が、断酒という無理な話から目を背けてしまったのも、自然なことでした。

世の中には断酒会とかAAがあることも知っていました。でもそこは、酒がやめられる人が通うところであり、やめられない自分が行くところではないと思っていました。

人はなぜ変わることができるのか(例えば酒をやめることができるのか)の答えは、「そもそも変わりたいと思っているから」だそうです。変わりたいと思っていても、さまざまな心理的抵抗があって、変わることを拒んでしまうもののようです。だから、その抵抗をひとつひとつ外していく作業が必要なんでしょう。

あの時の僕は、AAには酒をやめられる効果はないと思っていました。AAの効果を否定していたわけです。

9ヶ月後にAAに行って、AAで酒をやめている人を見て、なるほどAAによって酒がやめられる人もいると思うようになりました。「AAの一般的効力を信じるようになった」ということです。

しかし、それだけでは十分でありませんでした。自分もAAで酒がやめられるかもしれない、という期待を持つ必要がありました。AAが自分にも効力がある(自己効力)と信じるようになって、初めて継続的な変化が始まりました。

こうして抵抗のひとつが取れたのですが、それには年月と、酒の破壊力と、人の言葉がたくさん必要でした。問題を抱えた人は、変わりたいという願望以上に、自分は変われないという絶望(抵抗)を抱えているようです。お前は変われない、という否定的な言葉は、内にも外にもいっぱいありますから。


2008年01月03日(木) 飲んでた頃の話をしようぜ

初詣に行って、おみくじを買いました引きました。
今年は「おおきち」です。上の子は「こきち」で、下の子は「まっきち」でした。パパは嘘ばかり教えるから全然信じてくれません。

待人:さわりあり来たらず
失物:出がたし下にあり
恋愛:将来幸福になる
病気:信神すれば治る

何年経っても「どのように酷く酒を飲んできたか」という飲んでいた頃の話は大切です。なぜならそれが基礎だからです。

年月の経過と共に、飲んでいた頃の悲惨な記憶は薄れていってしまうものです(スリップして更新しない限りはね)。だからといって、問題が解決したわけではありません。酒に対する用心深さがなくなったぶん、危なくなっているとも言えます。

いかに自分が酒をやめられなかったか=自分がいかに酒に無力だったか、です。

飲んでいた頃の話ができなくなっていくのは、だんだんアルコールに無力でなくなっていく過程です。やめ始めの頃は皆が真剣ですが、体や心や生活が楽になっていくと、無力であるという実感も薄れてしまうものです。要するにステップ1が抜けていってしまうのです。

ステップ1は人を回復させないと言います。それは「酒に対して無力」という大問題を抱えている現実を知るだけの話で、なにも解決していません。解決はその先のステップが与えてくれます。逆に言えば、ステップ1は、その先のステップをやるための「動機」を作ってくれるのです。

その先のステップができない理由には、おそらく二つの理由が考えられます。ひとつは単にステップに慣れていないという場合。もう一つは、ステップをする動機がない場合=ステップ1が抜けてしまった場合です。

ミーティングで飲んでいた頃の話しかしない人もいます。けれど、何年もするうちには不思議といろんな部分が回復しているように見受けられます。一方、飲んでいた頃の話ができない人には「何年経ってもアル中の否認は頑固だなぁ」という評価にしかなりようがありません。

苦しんでいなければステップをやる動機がありません。あの時ステップ1が入ったような気がしていたのは、実は体も心も生活も苦しかったから、無力になったような気がしただけです。それが証拠に、いろいろが楽になってしまった今は、飲んでいた過去のことなど思い出さずに日々を過ごしてしまってますから。

そんなことよりミーティングではもっと別の話がしたい・・ていう気持ちも分かりますが、ミーティング以外でそういう話ができる人間関係を築くぐらい回復しろよ、と言いたいですね。たくさんの人に聞いてもらわないと気が済まない、っていう心の問題も解決しましょう。

年数が経ってからステップ1をやるのは大変です。ステップをサボる癖だけはしっかりついちゃっていて。

いかに自分が酒をやめられなかったか=今も自分がいかに酒に無力「である」か。


2008年01月02日(水) 読むほどにわからなくなる(かもしれない)AA案内

AAの「伝統」はルールではないので、必ずしも守られているとは限りません。
でも、おおよそ守られていないとAAグループが存続できないという経験則です。

・AAは非組織。
AAの各部分の組織化は最小限にする(伝統9)。
肩書きを持った人は奉仕をするしもべであって、責任と同等以上の権限を持たない(伝統2・9)。
AAを職業にすることはできない(伝統8)。ただし奉仕のために専従者を雇うことはできる。

・AAは匿名。
AAメンバーとして名前や写真をメディアに公開しない(伝統11)。
無名であることによって全員が平等であることが確認される(伝統12)。
(メディアでないところ、例えばグループの中で実名を名乗ることは問題ない)。

・AAは献金・経済的自立。
AAの収入源はAAメンバーの自発的な献金のみで、外部から助成を受けない(伝統7)。
AAそのものは資産を持たない、事業を行わない(伝統6)。
献金をすることはメンバーの条件ではない(伝統3)。

・AAの目的は単一。
AAの目的は自分自身と他のアルコホーリクの回復のみ(伝統5)。
AAは外部の問題に口を出さない。社会改革運動はしない(伝統10)。
AAは他の組織に属さない(伝統7)。
AAで回復したいと願うひとはどんな人でも拒まれない(伝統3)。
自分たちはAAグループだと名乗ればそれはAAグループである(伝統3)。
AAメンバーだからといって何かの規則に服従することは求められない(伝統3)。

AAグループは何かの権威に対してではなく、自分たちの良心に対してのみ責任を負う(伝統4)。

・AAそのものの存続
AA全体が存続しなければ、AAグループもAAメンバーも存在し得ない(伝統1)。
したがって、個人よりも常にAAの原理が優先される(伝統12)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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