心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2004年06月09日(水) お金で買えない贈り物

少なくとも、今夜ミーティングに行く気になったのは、自分のためではなかったはずです。
何ヶ月ぶりかに訪れたその会場は、僕の最初のホームグループでした。

狭い会場のやわらかい椅子に深々とかけていると、ミーティングが始まりました。テーマは『今日を新たに』から「金で買えない贈り物」。
雑談が終わり、黙想がすんで、ハンドブックを読み、司会者がばっとページを開いて、そのページを読み出したときに、すっと僕の心が軽くなりました。

僕は最近、自分の悩みが深刻だと思っていました。なぜこのような悩み深い毎日を送らねばならないのか、とても理不尽なことだと感じていました。

けれども僕には、もっともっと悩み深い日々がありました。それは自分の酒が止まらない、また飲んでしまうかもしれないという悩みが一番大きかったときです。週に二回あるそのミーティング会場に通い、椅子に深く腰掛けて話をしていたことを覚えています。部屋には新しい椅子が増え、禁煙になって壁紙が張り替えられたので白くなっています。あのころ一緒にやっていた人たちは去ってしまいましたが、会場は変わらずにそこにあります。
そして、そこにいる自分も変わっていません。

「新しく見つけた平和はお金で買えない贈り物である」。今、アルコールからの開放と自由を手にしながら、僕は何をぶつくさ不平をたれていたのか、自分でも笑ってしまいました。
特にユーモアを交えたわけでなく、普通に話をしたつもりですが、くすくす笑い声が聞こえてきました。感謝、与えられたものを喜ぶ謙遜、何を自分が分かち与えられるか考えることを選ぶことも出来ます。一方で、もっとたくさんを与えてもらえないことを不満に思い、不平と恨みを抱えて過ごすことも選ぶことができます。
僕はどちらでも好きなほうを選ぶことができるのです。

10メートル上に浮かんで自分の姿を見つめてみれば、笑ってしまうほどこっけいな自分が見えてきます。きっと僕のはイヤー・パワーはいつも僕の上に浮かんで、僕がばかなことをやっているのを笑って見ているのでしょう。

僕は状況や環境が悪いほうへ変わったと嘆いていたのですが、悪いほうに変わったのは自分自身であったようです。いつも同じことの繰り返しです。回復できないからAAに残っているだけなのかもしれません。今日一日。


2004年06月08日(火) 時流に乗れない人

遊佐未森の こんなアルバム を聴いています。RealPlayerをインストールしている方は こちら で試聴できます。
といっても自宅にはオーディオ環境がありません。5.1chのオーディオシステムを導入してあるのですが、スピーカーは本にうずもれたままであります。なので、聴くのはもっぱら車の中です。
この人もデビュー15周年だそうで、デビュー時に20才だったとしても、もう35才です(実際には僕と同じ学年なのでもっと上)。新しいファン層を獲得できていないと、ファン層の年齢も一緒に持ち上がってしまうので、主なファン層は三十後半の女性ということになるのでしょうか。

本棚に並んでいるCDを眺めてみると、遊佐未森・広瀬香美・飯島真理など音楽大学出身の女性ボーカルが目立ちます。(種ともこもそうかと思ったのですが、調べてみたら同志社でした)別に音大とかにこだわっているわけじゃないのですが、結果的に十年以上歌い続けている人というのはそういう人が多いのかもしれません。
でも新しいファン層を開拓できないと、固定客相手の商売になっちゃうのは誰しも同じなのかもしれません。
そこへ行くと、小学生相手にシングルCDを売り上げてみたり、団塊世代のオヤジたちの心をわしづかみにしてみたりする こちらの人 は「化け物」なのかもしれません。ちなみにこの人は北海道の女子大です。

本を読んだり、考え事をしたりするには、人の声は邪魔なので Mostly Calssical の放送を聴いています。
本はリタイヤしてからゆっくり読むことはできますが、音楽はそうはいきません。

また最近の別のお気に入りは、宇多田ヒカルの Addicted to You だったりもします。

90の道具に 25 を追加しました。


2004年06月07日(月) もし愛がなかったのなら

あるAAメンバーと電話で話をする機会があり、自分の兄弟のアルコホーリクの話になりました。その人は、自分の兄のために今日は時間を使っていたのだそうです。
実を言うと、僕の実兄も「どうしてこの人がアル中という診断をもらって精神病院の内側に行かないのだろう?」と思うぐらい飲む人です。毎晩ビール大瓶2本と焼酎を飲んでいます。休みの日は朝から酒を飲み、酒臭い息でぶつぶつ言いながら農作業をしています。飲酒運転は毎度のことで、事故もしたし、喧嘩もしたし、入院もしました。
母は、僕での経験から、自分ではどうにもならないと諦めています。
「酔っ払っているアルコホーリクは、愛されない生きものだ」。まさにそんな感じです。
まだ苦しんでいるアルコホーリクが、たまたま身内だからといって、僕らに特別なことが出来るわけではありません。僕らは霊的な道具を手にしているだけですし、自らがまだ持っていないものを分かち与えることはできません。
しかし、親子兄弟の縁を切るのは難しいものです。(もしそれがなかったなら、今のAAメンバーのかなりの人が酒をやめる前に死んでいたにちがいありません)。

先週のミーティング後の片づけをしているときに、お湯のポットをひっくり返して、二人で火傷をしてしまいました。今夜のミーティングの後で、ポットをひっくり返した彼が、「お詫び」と言ってお金の入った封筒を僕に渡そうとしました。しかし、それは受け取れません。
彼がポットをひっくり返したのは悪意があったからではないし、僕がそれを反射的に手で受け止めたのは犠牲になろうと思ったわけでもありません。どちらに責任があるというものでもないし、あえて言えば五分五分です。
けれど、彼が封筒を差し出しているのは単なるポーズではなくて、気持ちからの問題でしょう。それは人間関係を大切にしたいというスピリチュアルなものでしょう。僕の拒む気持ちも、同じであります(たぶん)。受け取っても拒んでもしこりが残りそうな気がしたので、相談の結果、そのお金はグループの献金箱に入れることになりました。
お金は霊的(スピリチュアル)なものではありません。しかし、金銭とスピリチュアリティが交わる場所がこの世の中にはあります。それが献金箱の中だといいます。

適切な投薬と黙想、自分の感情を目をそむけずに見つめること。ともかく「うつ」状態からは抜け出しつつあるようです。


2004年06月06日(日) 中古車購入

「先月の統計」 が無事更新されてほっとしています。ひと月に1回しか動かないプログラムの検証は難しいのです。

妻が車を買い換えることになりました。彼女の乗る昭和62年製のランサーは、すでにエアコンが動かなくなって撤去されています(修理部品がないから)。走行6万キロだというのに、クラッチ板の交換も経験済みです。9月に車検になるので、そろそろ次の車を探そうと言うわけです。
そんなわけで、この土日はあっちのディーラーに行ったり、こっちのディーラーに行ったりしていました。試乗をし、見積もりをもらうだけでも最低2時間はかかります。ターゲットは軽乗用車からいわゆるコンパクトカーです。

ホンダのフィットは後部座席のシートも良く出来ていて、CVTもこなれていてよかったです。ダイハツのムーブ、スズキのワゴンR、ともに車内空間を欲張りすぎで車重・車高が増えダルな感じでした。スバルにいったついでにインプレッサの一番安い車種(1.5L FF)に試乗してみました。値段以外は特に不満なし。トヨタのヴィッツも日産のマーチも乗りたかったけれど時間切れでした。

最終的に彼女が選んだのは、スバルのプレオの中古。車検未経験、1万8千キロのを税・諸費用・現有車の廃車代こみで70万円まで値切ったところで商談成立・・・のはずだったのですが、確認のためにおやじさん(僕の義父)に電話したところ、いきなり「ダメ」と言われて事態は混乱しました。

「軽自動車の中古ならOK」ということだったのに、なぜストップがかかったのかは知りませんが、帰宅後の話し合いには僕は参加しませんでした。婿養子は親子の問題には立ち入らないのが賢明です。おやじさんは、自分の車の古を乗って欲しがっていたようですが、そのメーカー最近いろいろと問題あるのと、妻は生まれて初めて自分で選んだ車に「ダメ」を出されてだいぶ怒っていたみたいです。

父親にとって娘とは、たとえ娘が何歳になろうとも、可愛いものであるらしいです(なんとなくそれは分かる)。それに男は女の涙に弱いです。

ちなみに車の費用は、妻が独身のときに形成した財産が使われるので、僕はノータッチです。契約は水曜日、支払いは今月いっぱい。9月の納車までディーラーに預かっていてもらうというわがままぶりであります。


2004年06月04日(金) 佐世保の事件で考えたこと

佐世保の小学校6年生の殺人事件で、ネット掲示板の書き込み が契機になったと聞いて、恐れていたことが現実になったと思いました。

1985年に初めて「モデム」というものを買って電話線とパソコンにつなぎ、パソコン通信というものを始めました。モデムは十万円近くしたと記憶しています。パソコン通信というのは現在のインターネットと違って、それほど匿名性がなく、プロフィールを公開している人も多い上に、ネットニュース(掲示板)やメールの送り元がわからなくても、通信業者はその人の住所氏名は最低限把握しているものでした。

それでも、ニュース上で議論が始まると、それは熱く熱く盛り上がるのでありました。きっかけはたわいのないことで、お互いに揚げ足取りが始まり、重箱の隅をつつくような議論が延々と続きます。時には数十人が巻き込まれて、ニュースグループが乱暴な言葉で溢れ返ることもあります。
顔の見えないメディアなので、相手の表情を見て「言い過ぎ」「やりすぎ」の自分の行為に気付くことができません。相手が(自分も)どんなに傷ついていようが、そんなことはお構いなしで、ノーガードの打ち合いが続きます。

こうなると怒りの感情に支配されてしまい、何日も、時には何週間も、どうやって「勝利を得るか」に思考がとらわれてしまいます。会ったこともない相手に(いや会ったことがあったとしても)、深い憎しみと憎悪を燃やし続けます。

インターネット普及の時代になって、相手の身元を知るのがずいぶんと面倒になりました(難しくはなっていないけど手間がかかるようになりました)。匿名性が増したと言ってもいいかもしれません。それをいいことに、トラブルの種を作る人も増えてきました。

十数年をネット上で過ごして、無駄なエネルギーをたくさん使って、僕は多少なりともフレームをよけて歩くのがうまくなってきたと自覚していました。

けれども、携帯電話やPCのメールで相手を追い詰めて、互いに傷を作ることも珍しくありません。とくに相手をある程度知っている場合にそうです。その点ではまったく人間的成長というものがありません。
それでも、そのせいでより相手のことが理解できて、関係が深みを増すことだってあります。だから、相手を傷つけないように極端に臆病になったり神経質になることもないかなと思っています。ですが、それは僕が(一応は仮にも)大人であるから、背負っているものや体面もあるからであります。

まだまだ身体も心も成長期にある子供たちに、(一見匿名性があるように見える)インターネットという道具を使わせたら、いつかは憎悪が燃え上がって何かの事件がおきるに違いないと思っていたのです。これからも傷害事件ぐらいはいくつでも起きるのじゃないかと思っています。
ネットに規制はかけられませんから、子供にパソコンなどを買い与える時期は、親が責任もって悩まないといけないと思っています。

ネットに毒が巣食っているのではなく、ネットが抱えているのは人間の本性です。


2004年06月03日(木) 免許センターに呼ばれました

車を運転する男性のほとんどが「自分は運転は平均より上手なほうだ」と思っているという統計があります。僕もごたぶんにはもれないわけですが・・・。

車内で一番運転が上手なのはAさん。さすがに何台も廃車にしただけあって、限界を心得ています。ただ助手席に乗っていても酔う事は必至です。まあ、普段はそんなに飛ばさない人です。
一番若いB君は、高速道路はいつも数十キロオーバー。でもなぜか、助手席にいても、後部座席でも疲れません。でもさすがにこの速度だと彼自身が二時間で体力の限界。車間距離が短い人なので、追突事故2回。
今は去ったC君は、唯一の対人事故歴保持者。横断歩道を歩いている老人をはねてしまいました。雨の日なのにヘッドライトを点灯していなかったので、車が来ているのを見落とされたみたいです。でも点灯していなかったのが悪いということで、多数決で「へたっぴ」に決定しました。
故郷にUターンしてきてハンドルを握るようになったDさん。速度は遅いけど、一番安心できる人です。

僕は、こちらで就職することを決めた30才のときに、教習所に通いました。毎日酒臭くて、教官に「お前みたいなヤツには(飲酒運転で事故をおこすだろうから)、絶対免許はやりたくないんだがなぁ。こちとら商売だから、しかたないな」と嫌味を言われながら卒業しました。
初心者マークが取れるころにAAにつながり、車も免許もあったおかげでミーティングに通えました。運命とは不思議であります。

あれ以来10年。事故歴1(被追突事故)、違反歴2(免許証不携帯・速度超過)。可もなく不可もなくといったところでしょうか。免許更新のお知らせがやってきました(つまり誕生日が来るってことです)。
廃車を作ってまで腕を磨こうとも思いません。
ちなみに僕の車は禁煙です。

うつの自己評価をしてみました。
前回 はZung式で69点、ベック式では34点。
今回は、Zung式で53点、ベック式で21点でした。だいぶ改善しています。


2004年06月02日(水) Seeks to control the uncontrollable

大坪家の書庫 のオーナーが書かれている文章の中には、含蓄に富んだ名言がたくさん引用されています。
孫引きなるのを恐れずに引くと、「危機ではなく、幻想の終わりに過ぎない」という言葉が好きです。

現在危機に陥ったのではなく、いままで安全だと思っていたのが幻想だったのだと。
アル中になってしまったのではなく、とっくの昔になっていたのに、自分は違うと信じていた、とか。いよいよミーティングに通わないと酒が止まらなくなってしまったのではなく、いままで自分の力でやめられると信じていたのが間違いだった、とか。
BOX-916の請求額が倍でびっくりしたのだが、実は先月分を払ってなかったのであった(ちょっと違うか)。
ボーナスが出ないという危機ではなくて、いままでひょっとしたらという期待が幻想だった、とか。

今日は昨日と同じような日であり、明日も多分そうは変わらない・・・と思っていても、ある日突然の変化が訪れます。でもそれは少なくとも「突然」じゃなくて、そんなことは起きないという幻想を持っていただけの話です。
AAが永遠に続いていくという感覚も幻想です。僕はいくつかのグループが消滅するのを見てきました。それはそのグループにハイヤー・パワーがいなかったからでしょうか?

翻訳をしていたら、Seeks to control the uncontrollable という文章にあたりました。
コントロールできないものへの制御を捜し求める。
無意識のうちにコントロールしようと懸命の努力をしていた自分です。いや、コントロールできていると信じたかっただけなのかもしれません。コントロールしているという意識すらしていませんでした。
僕は主導権を手放しました。

心は充足されていますが、どこかにぽっかり穴が空いた気分です。その穴には自我という名前がついているのかもしれませんし、違う名前がついているのかもしれません。

人はいつまでも同じではありません。くよくよしないで、今日の風に吹かれなさいと歌われていることであるし。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加