-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 文化会館の役目とは?

午後1時より、北の果てにあるJ.C.C.C(日系文化会館)にてミーティング。ここに来るのは本当に面倒だ。いくら豪華な日本の施設でも、こんな遠くにあるんだったら、車持ちの一部の人しか利用できないんじゃない?

そんなJCCCは、拡張工事の真っ最中。新しいホールやら、日本領事館の一部施設が移転入してくる予定。トロントには、大規模な日系の施設がほとんど無いため、大口の寄付や基金、資金援助などが、ここJCCCに集まる仕組み。

中に入ると、充実した設備や広大なスペースがあるにも関わらず、それらが有効に使われてないことに気付く。特に【現代ギャラリー】という、展覧会スペースは、単なる荷物倉庫と化し、かつて行われた『一世展』などの残骸がダンボールに紛れて放置されている。

しかも【現代ギャラリー】というのは名ばかりで、企画されるのは移住者の歴史を辿るような民族資料館まがいの古いもの。ギャラリーのBoradメンバーの面々を知っているが、中には現代美術バリバリの人間もいるのに、どうしてこんな事になるのか?「ああいうものにしか資金が出ないし、許可が下りないんだよ・・・」それが本音である。

いっそのこと、「文化会館」という看板を下ろし、「文化保存会館」や「歴史資料館」に変えた方がいいんじゃないだろうか?文化は絶えず進化し、変化していくもの。日本のある時点だけを美化し、伝承しようとするなら、個人事業でやって欲しい。

映画【ラスト・サムライ(トムクルーズ主演)】を観た外国人に、「日本の文化は素晴らしいですね」と言われたので、ゾクっとした。明らかに、彼が言ってるのは、JCCCに代表されるような【日本の伝統】を指し、現代に生きる俺らの文化じゃない。

今、これに便乗して「京都をみに行こう!」とか「武士道を学ぶ」みたいので商売しようとしてる奴らが大勢いる。一時の【禅】ブームのように沢山の本が出版され、カルチャースクールが開校し、そういうのを求める人にはJCCCはうってつけの施設だと言える。

じゃあ、今の日本ってどういう国だ?となった時に、JCCCを訪れて資料を探す事は不可能だ。職員もほとんどが地元の人間で、日本にさえ行ったことが無い人もいる。そんな人間で成り立っている会館だから、常に変わりゆく時代を反映した文化を伝えるのは土台無理な話だ。

つまり、沼地のように、一回水が溜まったら、その水が入れ替わることも無ければ、新しい清流が流れ込むこともない。

うらやましいのは、中国の文化会館だ。同じアジア系民族でもトロントで日系人6万人に対し、中国系は40万とも50万とも言われている。その需要もあるのか、文化会館には常に、リアルタイムで最新の中国の雑誌や情報が入っている。ビジネスも、中国とトロントで平行経営できるのは、現地の状況を即座に把握できるからでもある。

文化会館とは別に、「現代ギャラリー」がダウンタウン中心部にあり、中国の現役アーティスト達がバリバリと展覧会を行っている。人間の交流も盛んだ。カナダにいても、まるで現地中国とリアルタイムで繋がっている感覚だ。

その役割を中国の文化会館は果たしてるのに対し、日本の文化会館は、いつまでたっても「ある時点の日本文化」のみを重視している。公的資金を導入してるにも関わらず、ある一部の人しか対象にしていない。

映画【ラスト・サムライ】で、一層それに拍車が掛かるのだろう。常々、日本からカナダに戻ると、時間が止まるような感覚に陥る。逆に、カナダから日本へ帰ると【浦島太郎】状態で、すっかり時代に取り残されてる気分になる。これだけインターネットが復旧していてもだ。少なくとも、俺らの世代が求めているのは、現地とのリアルタイムな同期だ。


2003年12月18日(木)



 【bits】の忘年会

【Butler's】にてお客さんに絵を手渡す。ついでに、オーナーからカレンダー販売の許可をもらえたので、10部ほどもっていき、レジの横に置いてもらう。ここでの展示もあと数日限り。帰り道に【CafeMay】に寄るが、Kさんは不在。

夜、【bits】の忘年会が、スタジオの下にあるスシ・バーで行われた。予約前に到着したスタッフ達が中に入れなかったので、ウチで【UNO】ゲームをやって時間を潰す。

刺身などをつまみつつ、適当に酔っ払う。二次会は、そのまた隣の【Cicago】へ行ったので、俺にとっては本当に都合のいい忘年会だった(笑)

2003年12月17日(水)



 メディアとアートの関係

カレンダーの追加作成で、30代初の徹夜明け。午後【bits】オフィスへ向かう。新年号の出荷作業をちょっと手伝った。現在、アートコラムのライターとして以外に、【マーケティング】部門に協力している。

発端は、編集長であるKazuさんとの個人的な話から生まれた。俺は学校や会社でマーケティングやビジネスを学んだ事はないが、トロントに来てからの4年間、アートという場の実践において独自の方法論で進んできた。

知り合いも、ツテもなければ実績もない。まして英語も喋れないという四重苦(笑)の中で、スポンサーを獲得するには、ただひとつ「度胸」しかない。大企業の社長に初対面で

「お金もらいに来ました」

と言えるかどうか(笑)。これホント。

大きな展覧会ともなれば、どこから資金を調達するかを徹底的に考え、効果的な宣伝とな何か?を一生懸命考えた。これも全て「良い展覧会にしたい!」という部分に直結するから、自分の中では特に【ビジネス】を押し出したつもりはない。

しかし、日系社会においては、これが足かせになることもしばしばあり、「あいつ、アーティストじゃなくてビジネスマンだぜ」と陰口を叩かれることもあった。今でも日系企業周辺では、俺のことを「画家を語った若手起業家(実際に言われた言葉)」と呼ぶ人もいる。

そんなこたぁーどうでもいい。さっきも言った「良い展覧会にしたい!」という部分に直結していれば。でも、2002年に開催した【Let's Have a dream!】展のように、トヨタやSONY、EPSON、アサヒなど海外に進出する大企業が一堂に会すことも、アートという名の下だったからこそ実現できたと思っている。

話は逸れたが、Kazuさんは俺の経験を【bits】に注入したいと考えてるし、俺はメディアを使って、アートの中に新しいプロデュース方法を実践してみたいと思っている。その利害が一致したのだ。

メディアの中に、どれほど沢山のアートの種が埋まっているだろう。アンディ・ウォーホルがその扉を開いて以降、彼ほど上手くアートの文脈にメディアを取り入れたアーティストは出現していない。

内側から入り込む事によって、【bits】という日本人発のメディアから、そういうものが生まれたらスゴイことだと思う。


2003年12月16日(火)



 販路の模索

前夜、鍋パーティーから帰ったあと、なぜか寝付けずに結局朝まで仕事。来年の自分の個展やらプロジェクトやらの下準備。

昼に、またまた【Butler's】でお客さんと会って絵を渡す。長居をしないで、画材店経由で帰宅。クリップやら練り消しやら、今買わなくてもいいものを大量に買ってしまった。

帰り道は、またQueenのギャラリー街を歩く。

頭の中では、いろんな方向でやりたい事が渦まいてて、紙に書き出すと止まらなくなる。やはり根本には【どうやって自分の絵を人々に届けるか?】があり、それから【誰もやってない方法】という順番。

ゴールが1つだとしても、辿り着く方法は無限にあり、どれが自分らしいのか、らしくないのか、見極めるのは非常に困難。だって、やってみないと分からないから(笑)。

前に、村上隆さんにインタビューした時に「新しいメディアって、販路の模索によって生まれるんじゃない?」と言われて、それ以来頭にこびり付いている。

描いた作品を、単に垂れ流すのでなく、ちゃんと求めてる人のところへ届ける作業。ここを他人任せ、自然に任せるアーティストが多い中、村上さんは自分のやり方で1つの方程式を確立した。それは確かだ。

俺が、人との交流や出逢いを重要視してるのは、客観的に自分の立場を見たいからだ。まだまだ視野が狭く、自分の周りしか見えてないから、外部から色んなインプットが欲しい。

それまで鎖国だった日本が、西洋文化に触れ、「こんなに世の中は進んでいるのか!」と気付いたように、自分の内面だけの自家培養では成長できない。



2003年12月15日(月)



 鍋パーティー

日本領事館のMさんの家で鍋パーティー。ほんとパーティー三昧の日々である。今夜は全部で6人と、比較的こじんまりとしてたので気が楽だった。

トロント大学の歯科技師Iさんが【石狩鍋】に挑戦。脂っこい味噌風味に加え、ブ厚いサーモンにじゃがいも、海老などが入る。俺もチョコッと手伝って、サーモンを捌く。

男料理で、大雑把かと思いきや、Iさんは緻密だ。「昆布だしを水から火にかけて、沸騰して7分で止める」とか、ちゃんと計ってる。さすが歯科技師(?!)

ビールとワインと、アイスワイン(ナイアガラ名産のデザートワイン)のチャンポンで、心地よくなってきたところで【人生ゲーム】の登場。

おおー、英語版てかなり日本のと違うじゃん。しかも職業選択には現代風にコンピューター技術者なんてのもある。ゴールに着いたのは一位だったけど、獲得賞金では6人中4位。これが現実にならないよう願う(笑)


2003年12月14日(日)



 日記

今日はお客さんに絵を手渡すために【Butler's Pantry】へ。この一ヶ月、一体何度足を運んだだろう?

夏だったら、チャリンコでパーッと行けるんだけど、近頃雪も積もっているのでストリート・カー(路面電車)に頼らざるを得ない。往復約$5の出費もデカイが、乗り継ぎのため、寒い外で相当待たされるのが辛い。

数日前にカレンダーを発売してから、この【Butler's】でも注文を預かってもらってて、ここのお客さんだけで20部以上売れた。凄すぎ。

気分を良くして、帰り道はQueen Westを歩いて帰宅。最近、いくつか新しいギャラリーがオープンしたので、ちょこちょこ寄り道。でも、自分に合いそうなギャラリーは無さそう。

NYとかの巨大な面積を持つギャラリーならいいが、狭っくるしい8フィートの天井にギリギリまでキャンバスがくるような箱って、どうなんだろう?何か日本を思い出した。

夜、Rafiの誕生日会。そう、あいつと俺はほんの数日違いなのだ。近所のSOHOにある、友人宅(かなりファンキーな家)にてチョコレート・パーティー。

甘いものが苦手な俺は、ほとんど手を付けず、壁中に描かれた某カナディアン画家の絵を眺める。階段や天井、各部屋の壁に、時にはドローイングで、時にはスプレーで描かれたそれらの作品は、ある人にとっては【落書き】、俺にとっては【日記】に見えた。

俺は、ここで文字を使って日記を付けているけど、絵で、しかも家中を使って、生きていた証を記録するってスゴイ。


2003年12月13日(土)



 オンライン・ショップ

やっとオンラインショップが完成。と言ってもまだ英語版のみなんだよね。決済システムは米【Paypal】を使用。日本からでも買えるけど、【Paypal】の会員登録が英語だから、ちょっと難しいかも?

ショップのオープンは簡単だけど、この決済システムが面倒なので長い間放っておいたんです。でも、クリスマス・シーズンなんで、何かしらギフトになりそうなやつを急いで作ったんだよね。

ジクレー方式のプリントは、すでに【Butler's Pantry】でも販売していて、物凄い売れ行きになってます。クリスマス価格って事で破格の値段っていうのもあるけど、シーズン終わったら通常価格に戻すので、欲しい人は今のうちです。って宣伝かよ、おい。

要望の多かったカレンダーもやっと完成。レター/A4サイズなので、場所も取らなくて丁度いいんじゃないの!?絵柄は人気ある順にセレクトして、季節に合わせて順番を入れ替えたんです。

野球帽は、トロントのショップ【PULL】から発売されてるやつで、完全受注生産だな。色味は大体同じでも、全部手描きだから同じやつは一個もない。流行らせたいな〜、コレ。夏にはシルクスクリーンで、T-シャツも出る予定です。

今日は宣伝ばかりです。お金無いんです(マジ)。無事に年を越せるかがこれに掛かってるんです(大マジ)。


2003年12月12日(金)



 John Lennon Tribute

今夜はCafe Mayにて【John Lennon Tributeパーティー】を開催。

6時に会場に着いてから、昨晩仕上げられなかった特製垂れ幕を描く。白いシーツにJohnのイラストを、ほとんど一筆書きで描いた。後で、これに来場者が一人一人名前を書いていくようにした。

Chrisが到着して、サウンドチェックという名の練習。この日はじめて一緒に演奏するんで、それぞれのパートも決めてない。まぁ、お互いビートルズの曲は知ってるので、とりあえず頭から通して演奏してみて、お互いの得意パートを取る形にした。

暫くして、Jazzバンドで演奏するJoeさんが来て、どうせなら一緒にやろうと、急遽三人でのアレンジに変える。Joeさんは、Chirsよりもよく曲を知ってて、結構マニアックな曲、例えば「Match Box」できる?と聞けば「こんな感じかな?」と、すぐに対応。心強い。

そんな感じで練習をしているうちに、ボチボチとお客さんが入ってきたので、そのまま練習兼、本番みたいに片っ端から思いつく曲を演奏した。俺的には、初めてやる曲とかも多くて、ほとんどアドリブ。でも最高に気持ちいい。

2回目のステージで、最初に何曲かソロでやらせてもらって、再び三人で演奏。そして、お客さんが満杯になった3回目には、大勢の友達にコーラス隊になってもらい、名曲【Happy Xmas】を演奏。


狭い、小汚い店内だけど、この曲をやってる最中だけは、何故か真っ白な気分になった。俺を取り囲むように、みんなが輪になって「War is over if you want it♪〜」のコーラス。曲を知らない人でも、自然に歌ってる。すごい。一応これが最大のクライマックスになった。

4回目のステージ以降は、酒も入って適当に思いつくままの演奏。【日系Voice】のTさんも飛び入りで演奏に加わったりした。

それからダラダラと深夜1時くらいまでパーティーは続いた。普段あまり会わない友達もいっぱい来てくれて、決して規模は大きくないけど、とても暖かいレノン追悼の夜でした。

来てくれた皆、Thanks!

2003年12月11日(木)



 30

こんばんは。本日30歳となりましたtomolennonです。

「早く35になりたい」とか言ってた割には、ちょっと20代が名残惜しかったりして、喜びと悲しみが半々(笑)

子供の頃に描いていた【大人】というイメージ、例えば家を買って、車を持ってて、髭生やしてて・・・っていうのからは程遠いです。遠すぎて、やっぱ「永遠の18歳」とか宣言してしまいそうになります。

10代のうちにやっておきたい事や、20代のうちに済ませておきたかった事ってあると思う。俺の場合、絵の世界に入るのが遅かったので(25歳)、実質的にトロント来てからの5年間で、どれだけの事が出来たかって考えると、もう少し早く決断してたらなぁ・・との後悔はある。

決断っていうのは、「何が本当にやりたいのか!?」という選択のことで、当時は音楽や役者、映画とか色んなことがやりたかったんだよね。でもそれを「いや、絵一本でいくべし!」と決めたのが25の時。

色んな可能性を自ら閉ざすわけだから、相当勇気が要ったよね。あのまま日本にいたら情報の渦の中で「あれもやりたい、これもやりたい・・」と、結局どれも中途半端で終わったろうな、と思う。そういう意味では、カナダに来て、雑念をシャットアウトできてラッキーだったと思う。

尊敬するアントニオ猪木の自伝の中に、猪木が祖父から「なんでもいい、世界一になれ。貧乏なら貧乏の世界一・・・」っていうエピソードがある。男なら、やっぱ一番になりたいっていうのがあるし、それが日本ていう枠の中だけじゃなく、世界って部分に凄く共感を覚えた。

音楽をやってた時も、楽曲はすべて英詞で、最初から海外でやることが頭にあった。だから絵をやるって決めた時も、何の迷いもなく【世界】を目指そうと思ったよね。でも、じゃあ世界って、どうやったら行けるんだろう?と考えてみた。

自分の中で出た答えの一つが、「ひとつのものを極める」こと。

あちこちに手を出してたら、何一つ極めることが出来ないんじゃないか?と気付いたわけ。だとしたら、もう「これ!」って一つ決めて、追求していかないと世界では絶対に負けるなと思った。

絵の中にも、油絵や水彩や色んな技法があって、それぞれ何万人ものアーティストがその道を追求している。パステルの場合は、それに比べると未開拓の分野で、これは面白いぞと思った。

つまり、オリジナルの技法を編み出して、追求していけば一番になれるのではないか?と思ったんだよね。自分でルールとか競技を作っちゃうのと同じで、そしたら誰も「それは違う」なんて言わないじゃない?

話は逸れたけど、自分の中ではいまだに【世界】っていうのがあって、それを30歳になった今でも追いかけていられるのは幸せだなと感じる。

よく「ナンバーワンじゃなく、オンリーワンを目指せ」なんて言うけど、俺はこれ同義語だと思う。オンリーワンの人だけが、ナンバーワンになれるんだよ。

30親父モードなんで、自分に説教のつもりで書いてます。


2003年12月10日(水)



 This is Canada, eh?

久々にRafiとお茶。【Tokyo Doll】の作品の返送の為に業者と打ち合わせがあるので。あと、グランプリを獲ったワクイくんの話や、来年のRafiのプロジェクトについて話を聞く。

【Tokyo Doll】が終わった後で、いくつかのショップが人形を店頭に飾りたいと申し出てくれたりして、幾つかの作品はもう少しカナダに留まることになりそう。

夜、数名で秘密集会と称してのミーティング&食事会。近所の【Montana】でビールを飲む。

トロント発信って、何だ?人々を惹きつけるような、そんな新しいものって、トロントから生み出されてるかな?無いね。

先日起こった【Uptown Theather】崩壊事故にしても、日本のニュースには全く取りあげられていない。この街はこのまま「Unknown City/知られざる都市」の冠を被ったままなのだろうか。何か、世界的に無視されてる錯角に陥る。

最近、俺らの合言葉は「トロントって、マーケット小さいね〜」だ。やはり、日本みたいな単一民族で巨大なマーケットを目で見てきた分、このトロントの分散化された、保守的な枠の中で物事を考えるの欲求不満が溜まる。

害がなく、平和な街だけど、言い換えれば、ギラギラした野心家達を惹きつける求心力がない街。

でも、それだからこそ住みやすく、
平和で、
平常心を保って生活できるのだ。

なんだ、トロント、いい街じゃん・・・。

もしかしたら、俺たちがこれからやろうとしてる事は、多くのトロントニアン、カナディアンにとっては迷惑なこと?

波ひとつ無い水面に、わざわざ波風を立てるような事は、誰も望まないのかな。あぁ、何だろうこの違和感は。

カナダには、俺みたいな人間は必要ないよって、俺を追い出して欲しい。今はまだ追い出されてないのは、まだまだ異物になってない証拠。

これからもっと自分の思うがままに生きて行けば、カナダは俺を追い出してくれるのだろうか?早くそうなって欲しいと思う。トロントの生活が心地よくなってしまう前に。カナダに一生住みたいと思う前に。


2003年12月09日(火)
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